記録をとるということ

 

 

記録を残していくことの価値について。

 

記録は思い出させてくれる物であれば、記録により思いつく物でもある。

 

そして、記録のない記憶は儚く消えてしまう。

 

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以前、会社の後輩がコロナの疑いであったことを取り上げたが、昨日後輩のPCR検査の結果「陰性」であった。

 

 

asasyukan.hateblo.jp

 

 

無事で何より。

濃厚接触者であった僕を含めたチームも自宅待機が解けて、出勤することになった。

 

 

ただ自宅待機中、「過去2週間の行動記録を取っておいて!」と突如指示が出たのは驚いた。

 

僕は、手帳をつけているので、問題はなかったが、何の記録も取っていない人がいきなり自分の2週間の行動を思い出せるものなんだろうか?

昨日食べた物ですら思い出せるか怪しいのに。

 

それだけ記憶はすぐに曖昧なものになってしまう。

何に感動していて、何に関心があるか。

日常は自動歩行道路の上にあるように何もしてなくても動いていく。そこからの見えた・感じた記憶なんてほんと一瞬で消えて行ってしまう物なんだ。

 

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週末になると1週間の記録を振り返るようにしている。でも頭で思い出そうとしてもそのわずか七日間の時系列はめちゃくちゃだ。

 

手帳を開くと明確に1週間を思い出す。

でも一度忘れてしまうからか、その1週間が少し懐かしく、また新鮮に感じたりもする。

 

色々入り込んだ情報がさっぱり無くなり、自分が印象に残った行動だけが記録されている。それを後に俯瞰的に見ると、何をしようとしていたのか、他人にアドバイスをするような目線で自分を見れるのだ。

 

未来はわからないというが、案外そんな目線で見ると未来が透けて見える気さえしてくる。

 

 

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めんどくさがりの僕だが、そんな記憶をこのはてなブログでも残している。

手帳より遥かに時間をかけて、読者さんからいろんな目線で僕の残した記録に意味をいただけたりするからだ。

 

なんのためにこうやって記録を残していくのか、たまに何も思いつかず苦しくなる時もあるけど、記録を残すというのは、その日に何を感じたか改めて考えを生み出す、そんな何物にも変えがたい意味があるのかもしれない。

 

 

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