【めんどくさい】の集中力について
「ゲームならいくらでも集中できるのに、勉強となるとなぜ集中が持たないのか?」
すごく根本的な疑問に対して色々調べてみました。
先週からめんどくさいをテーマに取り上げています(^^♪
①考える
②行動
③めんどくさいの思考
④めんどくさいを超えると・・・
⑤お願い
集中力
めんどくさいを考えるうえでテーマになるのが「集中力」です。
ではそもそも集中力とは何なのか?
集中とはあるものを一点に集めることで、ある物事に気持ちや注意を集中する能力が集中力です。
東京大学薬学部の池谷裕二教授は、「集中している」状態とは、そもそも生物的には不自然な状態であるとしています。
自然界で生物が生きるためには、つねに周りに気を配り、危険を察知しなければいけません。天敵から自分の身を守るためです。
周りに気を配っている状態とは、注意が散漫している、つまり集中とは逆の状態です。このことから、人間も集中力が持続できないのは自然なこととしています。
なので人間の集中力は持って40分程度とのこと。
でもここでおかしいのは、ではなぜゲームやネットサーフィン等、快楽に関しては気が狂ったぐらい集中するのか?という疑問がわいてきます。
ネットサーフィンの異常な集中力?
今度は脳の話になります。
脳には興奮すると出てくる「ドーパミン」と
快楽を感じさせる「オピオイド」というものが存在します。
これらは脳内麻薬とも言われ勝手に作られます。
私たちがネットを開き何かを調べていると
探求心旺盛なドーパミンが分泌され、
得たい情報が見つかることで楽しいことが大好きなオピオイドが快楽を与えるのです。
この2つがセットで分泌されることで
エンドレスに「探す→楽しい」が繰り返されるわけです。
でも、ここでまたおかしいのは、ではなぜ教科書などの勉強ではエンドレスに続かないのでしょうか?
快楽に繋がらなければ集中にはならない
先ほどの脳の物資は「快の感情や意欲」などに関係しており、行動したことが報酬(ご褒美)につながることがわかっていると分泌しやすいと言われています。
ですから、楽しいことや好きなことには集中できるのです。
勉強も、「わかれば楽しい」「好きなお勉強なら集中できる」という人もたくさんいます。しかし無機質な宿題により「宿題が楽しい」という子どもはいません。
ゲームやネットサーフィン等の遊びは、快楽につながる。
勉強や仕事は、苦痛であり、集中がもたない。
勉強にお菓子をぶら下げる
ネットで調べてみると、子どもが勉強をしたあとはご褒美にお菓子をあげる、30分ゲーム時間をあげる。というものがあった。
でもこれだと、いつまでも「勉強=苦痛」であり、脳の快楽物質はその後の「お菓子、ゲーム=快楽」になるのでは?と思ってしまいます。
この話を広げると、もしお菓子やゲームがなければ勉強はしないことになります。もっと言えば、ご褒美がなければ、めんどくさいと向き合わないわけです。
勉強だけに焦点を当ててるわけで本質的な解決ではない様な気がします。
「給料も安いのに、本気で仕事をやってられるか!」という考えと似ている。
勉強のご褒美を勉強にする
オリエンタルラジオの中田敦彦さんは、受験時苦手な科目の勉強の時は、勉強が終わるとご褒美に英語の単語の勉強を30分取り入れていたといいます。
これにより英語の単語勉強は、ご褒美であり、勉強そのものは苦痛ではないという考えをすり込んでいたといいます。
まさに本質です。
嫌な物事と取り組む時に、嫌な中に好きなものを組み込んであげる。好きなものを見出す。
そして「勉強は嫌い」「仕事は大変」と1つの事象から全てを判断しない様に、脳を丁寧に誘導させる仕組み作りが求められています。
めんどくさいを変容させ集中につなげる
僕の場合は、「めんどくさい」と感じると、「筋トレ」をイメージして取り掛かります。
「めんどくさい」が現れてすぐ倒すと、その経験値がそのまま「めんどくさいと向き合う筋肉」になるイメージです。
これを逃してしまうとレベルが上がらないという感覚です。つまり「めんどくさいは経験であり、貴重な存在」と捉えることです。
こう考えると、「めんどくさい」という感覚が現れた時に、その負の未来のイメージを、どれだけ早く払拭し行動に移せるか?
「考えを変容させる力」こそ、めんどくさいを倒す能力かもしれません。
冒頭の質問で
「ゲームならいくらでも集中できるのに、勉強となるとなぜ集中が持たないのか?」
の答えは、自身の捉え方が違うからです。
思えば、大人になり、ゲームだって多分そんなに集中できないです。めんどくさいと思ってしまいます。
これも考えが変容してしまったからかもしれません。
最後までご覧頂きありがとうございました!