【めんどくさい】について考えてみた

仕事でもプライベートでも嫌なことを後回しにしてしまう

何度も同じことで後回しにして、もっと大変なことになっている

これってなんでなんだろう?

 

「嫌」を追求してみた

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めんどくさい

 

その嫌なことの最たる理由が、めんどくさいである。

体を動かす、返事を返す等、「自ら動く」ことで、ストレスは生じる。

でもこれは自らの意思ではないからなのだろう。

 

「○○をしたい!」と意欲がわいてる場合、むしろ止められるとストレスになるぐらいだ。動き出せばこのストレスは意欲に変わる。

 

でもなぜ、行動をするときにそんなストレスが生じるのだろう?

今ちょうど返事をしていないメールがあるから実際行動してみて、分析してみようと思う。

 

実際にめんどくさいをしてみた

 

まず開くまでが億劫だ

G-mailを起動させて、その返事をしていないメールを見つけるまでに時間がかかる。

ようやく見つけたのでメールを開く、「修正のお願い」だ。

修正内容に関しては以前メールで送っているので、そちらを確認するようにとのこと。

その修正を指示したメールを探しに行かないといけない。

そして見つけて修正しようとするも今度はどこに、その修正箇所があるのか見つからない。

 

もうここまででストレスだらけだ。

見つからない、分からないというのはこんなにストレスなのか。

また「修正」という魅力が低いゴールだから

余計に行動に力が入らない。

 

やっと見つけて修正を始める。

ここがポイントなのだが「修正作業に関しては、修正に入ってしまえばストレスは全くなかった」のだ。むしろなるほど~と勉強になるとさえ思えた。

 

しかし今回再申請をしたが、これでまた修正のお願いが来たら、嫌な感覚は必ず再熱するだろう。それは、修正というゴールにたどり着くまでの「いらない道のり」がストレスになるのだ。めんどくさい印象をがっつりつけている。

 

思考を切り替えるストレス

 

たった一つのことをしているのであれば、ここまでストレスはないのかもしれない。僕を含めて人は、思考を切り替えるのに強いストレスが発生する。

 

例えばブログを書いて集中している時に「ちょっとこっち来て!」と奥さんに呼ばれることがある。この時のストレスもすごい。

いらいらしながら行ってみると、外の犬が寝てる。奥さんは僕にこれを見せようと声をかけてきたことが分かりストレスがスッとなくなり癒されたりもする。

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考えてみると、「こっちに来て!」と呼ばれたときなぜイライラしたのだろうか?

 

「ブログを集中してやってるのに!」

「どうせ大した事でないなら後にしてくれ!」

「そっちまで行くのがめんどくさい」

 

もう少しこの感情を分析すると、「マイナスの未来」を想像するからだ。

 

マイナスの未来=めんどくさい

 

「ブログを集中してやってるのに!」

→現在(ブログに集中)がやめさせられるマイナスの未来

 

「どうせ大したことない」

→陳腐な結果が待ってるマイナスの未来

 

「そっちまでいくのがめんどくさい」

→立ち上がるというマイナスの未来

 

このマイナスの未来の想像が、行動を鈍化させる。

 

職場でも、自分でないミスでも相談しにいくとガミガミ言われると、それがストレスになるため今後の相談は、億劫になる

 

これがめんどくさいの元凶だ。

やらないといけないこと、やったら素晴らしいことも、手前にあるマイナスの未来の想像こそ打ち勝たないといけない。

 

基本大したことない

 

そしてこのマイナスの未来の想像は、たいてい大袈裟で基本対したことではない。ガミガミ言われたらガミガミ言われただけで、「うるさいな」と呟く程度の話だ。

 

むしろマイナスの未来からはじまる現実逃避を鍛えることで、このめんどくさいを打ち勝てる可能性がでてくる。どれほど後回しにしてきたことか。

 

この自己管理につながる思考。

ちゃんと変わらずに実行していきたい。

 

 

 

 

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