刹那に生きる美学

今でこそ毎日ランニングを早寝早起きをする生活スタイルだが、つい一年前までは不健康極まりない生活をしていた。

 

毎晩外で飯を食い、何件も居酒屋を回って、帰宅するのが深夜2時。そんな生活を週5以上をこなしていた20代。

 

そんな不健康であった記事は過去に何度か挙げているのだが、この過去の僕について書きたくなる理由を考えて見たら、戒めの意味が強い。「あーなったらあかんで」と思い出すことで、過去を否定し洗脳させているのかもしれない。

 

それだけ強力な依存性がある当時の生活には、当時の生活なりの魅力があったからに違いない。なぜあの生活のスパイラルに落ちていたのか、当時の生活を否定するのではなくその魅力について振り返ってみようと思う。

 

(ちなみにラジオでも当時のことをアップロードしています(^^♪)

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刹那に生きる美学

 

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まず当時の生活は、圧倒的に職場の人たちとのコミュニケーションが多かった。

仕事が終われば飲みに行き、今日合ったこと、困っていること、上司の過去や身の上話をずっと聞いていて、話していた。それだけコミュニケーションを密にしているから、人間関係も良好である。みんなのプライベートな情報をよく知っていたので、話せる幅も広かった。

 

また僕はお酒が好きだし、仕事の話も嫌いではなかった。そのためストレスの多い職場でも、この飲みに行くことで、ストレスが発散されていた。深酒での会話のため、記憶があまり残ってはいないが、刹那に生きるうえでは、爆竹のように、火花を散らし駆け抜けていく日々に、それはそれで魅力的であった。

 

酔った勢いで連絡の途絶えていた友人に連絡をすることもあった。

会話をどうつないでいたか、わからないが、深夜と酒の力で、途絶えそうな人間関係を結び付けていれた。これも当時の生活があったからである。

 

朝は起き上がることが困難ではあったが、職場につき、まずは一服することで、仕事への切り替えはできていた。午前中は使い物にならなかったが、午後から頭は冴えていたし、「この後、みんなで飲みに行ける!」と考えることで、モチベーションを維持させ仕事をやり終えることができていた。

 

お金は全くたまらなかったが、田舎での生活のため、お金を使うことがなく、それほど困ることはなかった。むしろみんなと飲みに行かないとやることはないし、人間関係を維持させるうえでは、この生活サイクルはとても必要なことであった。

 

そして何よりも「時間的にも経済的にも自由であり、それを謳歌する」生活スタイルが束縛されることなく生きており、これがたまらなく楽しかったのだと思う。

 

休日になれば、車を飛ばし地元へ帰る。

深夜を駆け抜けていく高速道路も、そこで吸うタバコも、流れていく音楽も街灯も紫煙も、全部が今だけなんだけど、その「今」を十分に感じ取れる生活であった。

 

 

 

現在はすっかり煙草をやめ、外食もしなくなり、未来思考で物事を考えるようになった。当時は気づかなかったが、別に飲み行かなくなってもプライベートな情報は減ったが職場の関係は良好なままだ。そんなことで人間関係は崩れないのだなぁと認識した。が、こうやって過去を振り返ると、当時の生活は否定される生活ではあるが、それでも、真剣に楽しんでいた。

 

あの時はあの時なりに美学があり、未来よりも常に今を取っていたのだと思う。

何が正解なのか分からないが、その時正しいと思えたことをやっているという意味では、今も当時も僕は変わっていないのかもしれない。

 

 

 

 

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