世間の目

 

 

友人から8年以上付き合っていた彼女と別れたと連絡が入った。

 

 

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友人と友人の彼女とも一緒に何度も遊んだことがあったが、2人ともお似合いというより瓜二つの様な存在で、相性が絶妙にあっている様に外から見て思っていた。

 

勝手に結婚も秒読みという風に思っていたから、今回の連絡は青天の霹靂だ。友人からは「とりあえずカラオケにいこう」とラインが来ており、それ以上詳しいことは聞けずにいる。

 

 

そんな友人が以前、彼女との結婚について語っていた。夢を追っている友人は、今の不安定な収入では彼女の親御さんが納得されないため、結婚はしたいが難しいと話していた。

 

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結婚にまつわる「世間の目」というのはつくづく厳しい視線である。

本来は2人の気持ちだけの話ではあるが、安定した収入に、将来の展望など、2人の問題と世間の問題が絡み合ってくる。

 

「世間から何を言われようと2人の気持ちさえあれば!」という簡単な話ではない。

幸せの定義は、周りの環境にも強く影響を受けるのが人の常である。

 

「10年ぶりに同級生と再会して好きになってしまった。でも今さら付き合って周りから笑われるのも嫌だから、この気持ちを純粋に受け入れられない」と言っていた同僚をおもいだす。

 

世間の目が怖い。

誰に言われるわけでもなく、行動を制限し、選択を禁止される。

その禁止された状態でも、時間の流れは止まらないわけで、いろんな機会•チャンス•タイミングが、先のない回転寿司のレールに乗りドボドボとこぼれ落ちていく。それを身動きできない状態で見続けるのは本当に辛い。

 

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でも世間の目って誰が生み出したものなんだろう?

僕自身、誰に何を言われたり思われたりしたら嫌なんだろう?

 

そんな風に考えていくと結局、世間の目って100%僕自身が生み出している弱さなんだろうなぁと思う。自分の負い目に世間を被せて生み出しているのかもしれない。

 

 

友人が別れたと連絡をくれたこと。

カラオケに行って次へ向き合おうとしていること。世間の目を気にしてばかりの僕より遥かに高いところで友人はこの世界で戦っている。

 

 

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