転勤して、初めての運転。
1つも知らない道を走るのは正直怖い。
びゅんびゅん抜かされながらも、安全第一にトロトロ運転していた。
帰り道。
道路の看板をみると”熱田神宮7㌔”と書かれている。
ナビで見るとちょうど帰り道沿いにあるようだ。
ここ最近の追われるような時間から、抜け出すような時間が始まった。
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ごたごたした町から一変。
木々に覆われた熱田神宮は、一気に静寂と凛とした空気を発していた。
各々の樹木がいくらでも枝を伸ばし空を隠していく。
感謝する気持ちや有難がる想いというのは、どうも静かに熱い場から生まれやすいのかもしれない。
圧倒され何も感じていないのに、心の小さなところで少しずつ暖かな温度を持ち始めていくのが分かる。
砂利道の小石と小石が、革靴のゴム版に踏まれこすれ合う音だけが、木々でトンネル状に覆われた緑道にこだましていく。
そういった音を聞くだけで、適当に石を蹴っ飛ばしたり、砂利が舞うように走ったりはしない。
丁寧に歩き、鳥居をくぐる度にお辞儀して、心を整えていく。
本堂に着くまでに、普段の生活から切り離された、浄化された僕を、この神宮は創り上げていくようだ。
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本堂についた。
人もまばらで、思う存分願い事を唱える時間がある。
思えば、子供の頃は溢れんばかりの欲を神様にお願いしていた。
大金持ちになりたいとか、好きな子が好きになってくれますようにとか、あのゲームがほしいとか…
5円玉をお賽銭に投げて、なんともコスパの良いお願いをしていたが、叶った思い出は1つもない。
そんな欲望まみれの自分も嫌いではないが、ここ十年ぐらいは家族の健康だけを願っている。
お金持ちやゲームソフトよりずっと重い願い事ではあるのだが、こんな場だからこそ、家族の存在、そしてその存在が普遍ではないことを思い出し、永遠であってほしいと願うのだろう。
産まれた子どもに身体のお守りを買った。
ずっと健康でいてほしい。
終わりがあると知るからこそ、終わらせないようにする願いは、熱田神宮に入る前よりずっと熱い形になっていた。
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