ネット社会で漂う人間臭さ

デジタルイラストを始めて2週間ほど。

このご時世、何かを学ぼうとすると、とにかく情報に溢れた社会になったんだと痛感する。もう、なんだって手に入る。

 

 

 

 

☟デジタルイラストを始めたきっかけ

asasyukan.hateblo.jp

 

 

 

 

絵の描き方も設定の仕方もテクニックも、10年前は有料とされていた情報が、情報過多の中では有料というだけで無視される。そのため、無料公開で情報が飛び交っているのだ。

 

まるで学校のカリキュラムが組まれたように、僕は仕事が終わり家に帰ると、YOUTUBEで絵の勉強に勤しんでいる。そして、1円も払うことなく、たまに「いいね」マークを残す位で去っていく。

 

ふと我に返り、ゾッとするのだ。

「こんな世界で僕は生き残っていけるのか!?」と。

 

 

 

 

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しかし2週間もそのような行動をしているとどれだけ情報があるからと言っても、見にいくサイトや動画チャンネルも自ずと限られてくる。

 

無料の中で少しずつ自分に合った「情報提供の仕方」をしている人にお世話になっていくのだ。

 

「この人の動画、ちょうど悩んでるところを教えてくれるなぁ」

「すごく分かりやすいし見やすい。」

「あ、このキャラ好きだな」

 

そんな少しのきっかけが、数多ある情報の海を掻き分けて、その人の情報提供の場に僕を行きつかせる。そしてまた今日もその人の所でお勉強をさせてもらっているのだ。

 

 

 

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僕も作品や有益な情報を、多くの人に伝えていきたい。

 

でもその情報発信が人に選ばれるようになるには、情報自体の質も大切ではあるが、それと同様に、いやそれ以上に「情報発信の仕方」が重要になるのだろうなぁ、と今回、絵の勉強をしながら強く感じている。

 

伝え方から、その人の人間性が見えてくる。

それが作られたものであっても、作られた人間性に好き嫌いが分かれていくのだ。

 

「一億人から君を見つけたよ」とどこかの歌詞で目にしたが、まさにその通りで、どこまで形を変えても時代が進んでも、人間は人間を求めている。

 

その人間臭さは、情報過多にひしめき合うネット社会において、ますます貴重な存在へとなっているのかもしれない。

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます!