山月記を読んで

中島敦の「山月記」をよんだ。

 

中国最高峰学、科挙を合格した主人公李徴が、超エリート街道を進みながらも、これは違う!と自分が本当にしたかった詩人になる瞬間がある。

 

こんなにエリートで成功していて、そこから全て投げ捨てて詩人になる勇気、自分にあるだろうかとつい考えてしまう。

 

山月記では、結局詩人としては成功せず、出戻りすることになり、自分より成績の低かった者たちの下につくことになる。周りからは馬鹿にされ、詩人として失敗した辛く厳しい世界が主人公を待ち受ける。羞恥心と悔しさの気持ちが主人公の姿を虎に変え、最後は月に吠えるシーンを読み僕自身何とも言えない気持ちになった。

 

 

それでも僕は人を選び、虎の気持ち隠し生きていくのは正解とも思えていない。

でも、闇雲に投げ捨て挑戦する勇気もない。

 

 

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9月5日に子どもが産まれ、順調に行けば12日に僕も子どもと会える予定だ。

どんな気持ちになるのか自分でもわからない。

 

父親としての自覚がどういう風に沸くのだろうか?

そんな不思議な気持ちと早く会いたい気持ちが交差する。

 

 

そして明日からついに新天地で仕事も始まる。

十分な休息と手続きを終えて、いよいよ自分の新しい人生が始まる。

 

 

子どもの出産、新しい職場、新住居。

自分の目の前に広がる光景は大きく変わる中で、それでも自分が今どうしてもしたいアニメーション動画をずっと作っていた。

 

 

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新環境をに飛び込む中でも、作品作りにはずっと向き合っていきたい。

それは流されたくないし、自分が変わってしまおうとする環境への抗いなのかもしれない。

 

それでも大きな変化の中で貫ける気持ちを、今山月記を読み終える中で試されているような気がする。