やさしい暮らし

 

相手に優しくされたら、きっと自分も優しくなる。

 

僕と奥さんには1つのルールがある。

子どもに対しては、「どんなに疲れていても、優しく声をかける」というルールだ。

 

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深夜にお腹が空いたと子どもは泣き始める。

「明日、仕事なのに…」

「昼間もずっと相手してるのに…」

 

疲れた気持ちをそのまま口にしたり、行動してはいけない。相手にもその気待ちが伝播してしまうし、強いては子どもにもその気持ちが届く気がするのだ。

 

受け取る感情はコントロールできなくても、伝える感情だけは優しく声をかける。そうすると自然と気持ちまで優しくなるので不思議だ。

 

 

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『認知的不協和』という心理学の言葉があるらしい。「矛盾する2つのことを同時に認識した状態」を表す言葉であり、脳は認知的不協和を感じた時、自身の思考を変化させて、この不協和を解消しようとするとのこと。

 

僕の場合、泣いてる子どもに「もう疲れてるのに…泣き止んでよ」と感じていても「お腹すいたのよく我慢したね、偉いね」と優しく話しかけると、感じていることと出てきた言葉が矛盾して、自然と言葉の方に気持ちを合わせているようだ。

 

 

それは、子どもを超えて奥さんにも言葉が優しくなる。行動も考えも優しくなる。お互い初めてのことだらけで大変だけど、感情をぶつけることはない。

 

そんなきっかけになっているのが「優しく言葉をかける」1つのルールからだ。

 

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とはいえこれは子どもにおいての話。

僕に対して、奥さんから特にそんなルールは設けていない。

 

家で飛び交ってるのはやさしい言葉というより

 

「出したら元の場所にしまって!」

「ちゃんとスッポンジは立てるように置いて!」

 

と、愛がいっぱい詰まった言葉だ。

もしこの言葉たちの基にルールがあるとしたら「ちゃんとしろ!」ということだろう。

ちゃんとしないといけないという気持ちは伝わっている。

 

しかし行動の伴わない気持ちでは生活は回らないようだ…。

 

 

 

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