親がしてきたことを、今度は僕がしていく。
時間を超えてバトンを引継ぎ、引渡す…。
何か取り決めあったわけではないけれど、止まらないルールの中でそんな移り変わりを見たりする。
昨日、僕は初めて自分の親に子どもを会わせた。
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両親が大阪から愛知に来たのはお昼を過ぎた時間であった。
僕の最寄駅についた母親、父親。
母親の手には大きな荷物があり、「何を持ってきたん?」と聞くと「なんか有名なバームクーヘンとか、551の蓬莱とか、色々買ったで!」と、まるで引き出物をもつ結婚式帰り。
父親は「大阪都構想あかんかったな!ドグマ賛成、反対どっちやった?」となぜかいきなり政治話。
今から僕の子どもに会うとわかっているのか?と疑問を抱くが、二人ともテンションが高く、それだけ楽しみにしてるんだなぁと気づくと、素直に嬉しかったりする。
メインの子どもは奥さんと一緒に家で待っているため、そのまま駅から僕の家に向かった。
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家につき、リビングのドアを開けたら、奥さんが子どもを抱いて待っていた。
初めてのご対面。
父親も母親もワーッと華やいで、子どもを見る。
子どもは訝しい顔をしながら、僕の両親を見る。
そのまま抱いている子どもを横から指でツンツンして笑っていて、そんな子どもはツンツンされて嫌がっていた。
そんな光景を見ると、ゆっくり子どもは孫に、父親は母親はおじいちゃんおばあちゃんに、立場を変容させていくようだった。
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30年前も、きっと同じように僕を祖父母に会わせて、父親はこうやって変わっていく情景を見ていたのだと思う。
そしてまた同じように子どもが僕を見る情景も、僕が親を見ていた情景も、時代だけが違うだけで、ら旋階段から同じ場所を見上げているのかもしれない。
いつか子どもが僕に同じことをしてきた時、親が今の僕を見る気持ちがわかったりするのか?
その時はどんな気持ちになるのだろう?
孫を抱く祖父母になった両親を見て、クルクル考えていた。
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