依存症の反対は、「しらふ」ではなく「繋がり」

 

 喫煙習慣によるニコチン依存症だった僕にとって、「依存症への問題」はいつもどこか頭の片隅に存在する。

 

それは依存症がまた再発してしまわないか?という警戒心もあるが、一方でニコチン依存を超えて、アルコール依存・ギャンブル依存。強いては人や神様への依存まで、「なぜ人は何かに依存してしまうのか?」そんな純粋な興味・関心があるのだ。

 

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先日、僕が考えていた依存症への理解が根本的に違っていることに気付かされた動画と出会った。

 

☟こちらがその動画と解説です

www.ted.com

 

 

 

結構長いのでかみ砕いて説明すると、

「なぜ病院治療に使われるモルヒネではヘロイン中毒にならないのか?」という切り口から話は始まる。

 

モルヒネに含まれるヘロインは中毒者が使用する薬より、はるかに濃度が高いヘロインを摂取することになる。

でもモルヒネではヘロイン中毒には陥らないという謎があるのだ。

 

そしてもう一つ。

ベトナム戦争ベトナムに派遣されていたアメリカ兵の20%はヘロイン中毒となっていた。しかし戦争が終わると更生施設にいくことなくヘロイン中毒だったアメリカ兵の95%は禁断症状がないままヘロイン摂取をやめた。これらはなぜなのか?」

 

 

ヘロインには依存性物質があり、これを摂りつづけるとヘロイン中毒となり依存してしまうというのが僕らの常識だ。これはタバコやアルコール、パチンコでも当てはまる通例の考え方だ。

 

ではなぜモルヒネ投与者もアメリカ兵もヘロイン依存者へ陥らないのか?

それは「繋がり」を意識しているかどうかだとジョハン・ハリさんは話す。

 

 

 

 

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人は他人と心を通い合わせ繋がることを 自然と求める動物。

 

しかしそれができない人は 人生の中で経験したトラウマや 孤立、虐待などが原因となり 安心感を求め 人間以外に 繋がる対象を探し始める。

 

何かと繋がろうとするのが 人間の本能なのだ。

 

 

僕がタバコをやめて今も断煙しているのは、ニコチンが体から抜けきったからではない。奥さんがいる家庭があり、禁煙により出会えた多くの関係が崩れることが嫌だからだ。

 

 

僕らが見ているヘロイン中毒者とヘロインを投与したことがある人では根本的な使用用途が違う。もっと言えば「ヘロインとの関係が違う」のである。

病院でモルヒネを使用された患者はヘロイン自体と向き合っていない。戦争が終わって本土に帰るヘロイン中毒のアメリカ兵もヘロインではなく自分を待っている家族と向き合うのである。

 

 

 

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コロナ未曾有の中、パチンコに並ぶ客をマスコミやネットで叩くシーンを何度も目にした。

何か大切な人や関係があれば、あの場に並んでいないのかもしれない。

でもその大切なものもなくパチンコにしか関係を繋がりを見いだせないのであれば、果たしてその人をみんなで叩いて、パチンコから切り離すことに正義はあるのだろうか。

 

負の習慣に陥る依存症。

目に見えてくる情報だけで、非難をしても、根本的解決からはむしろは遠のいてしまうのかもしれない。

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます!