ギャンブル依存症の中でも特にパチンコ依存症は強烈な習慣(欠慣)です。
習慣とは、自動化している状態であり、正にも負にも動かされます。
歩いている人は止まることができますが走っている人は急には止まれず、スピードを緩め歩き止めることになります。
そこにはまだ意思で止めれますが、パチンコ依存症の場合、どんどんスピードをあげていきます。
それは最終的には新幹線に乗っているようなもので、もう自分の意思で止まれるレベルではないのです。
あなたの意思という問題ではなく、脳が変形しており、ギャンブル以外での楽しみ方がわからなくなっている状態にもなっています。
実際に快楽を感じるドーパミンがギャンブル以外では出されなくなってしまうのです。
ギャンブル依存症から抜け出すのが難しいのは、
勝ったときの快感を忘れられない承認的圧力と、
ギャンブルをやめてもやらない日々を耐えれない虚無的圧力の
2方向で支えられているからです。
これはホストに入り浸る女性客も同じです。ホストと楽しく話せた快感(承認的圧力)が忘れれず、もうこの人から避けたいと思ってもホストのいない日々に耐えれない(虚無的圧力)ため、ドンペリを注文するなど端からみたらあり得ない状態になっていくのです。
しかしパチンコはホストよりも恐ろしいのです。承認的圧力をメーカーの人間たちは、研究に研究をかさね演出させます。
1日4~5万円人から使わせるなど、異常としか言いようがない状態なのですが、初めて勝った快感、あの認められた瞬間、博打の天才、圧倒的勝利、爆音の中で完璧に認められた衝撃はみるみる承認的圧力を生み、年に2~3回ぐらいしか起きない大勝に向かって、体が勝手に吸い込まれていきます。
さらにギャンブル依存症は、人との関係を希薄化させます。
負けたことには嘘をつき、人との遊びよりギャンブルを優先してしまうのです。
そしてギャンブル依存症は、経済的にも支配し、借金を抱える入り口となります。
借金を抱えると、経済的にはもう自立ができなくなります。そして経済的に支配されると自尊心も失い、精神的にも自立が困難になってきます。
この状態まで行くとギャンブルでしか人生を取り返すことはできず、ギャンブルに支配された中で生きることになるのです。
もう生きている価値は、ギャンブルとなってしまい、死にたい気持ちでいっぱいになるのです。
何が楽しいのか、何をしたいのか、なにもわからないし、もう何よりなにも考えたくないのです。
そしてその解決はギャンブルにしかないように思えるのです。いや、思うしかないのです。
考えてみれば人生で「勝ち」を得ていくことも「価値」を得ていくことも、運ではありません。
積み重ねてきた経験による物です。
運ではなく必然なのです。
圧倒的創慣は、経済的にも精神的にも自立を促し、強いては他を受け入れる相互依存まで発展します。
ギャンブル依存症から見える習慣という自動化の中で、人はいかに自分をコントロールしないと腐敗してしまうか、そんな弱さが垣間見えるのです。