とにかく金がたまり、夜の時間を確保することができてます。そしてお金がたまる事で支出管理にも目が行くようになりました。
にしても冷たいやつだと思われるかもしれません。
社会人になり上司と酒を飲むことで出世をはたしていく、それはあるかのかもしれません。
しかし私の中で、出世をしてもやりたいことに近づくわけではないことに気づいたのです。
で、あれば夜の時間をしっかりと確保し、自分のしたいことに注ぐ、それが重要なことなのだと思っています。
最初お酒を断ることに抵抗はありました。ノリの悪いやつだと陰口を叩かれたりしないのか?ただ実際は陰口を叩かれたからと言って所詮飲みを断っただけです。
その程度で陰口を叩くのであれば、その程度の人間ということ、相手する必要もないです。
5~6回断ったらもう誘ってきません。ただ常識の範囲内での付き合い(歓迎会や送別会など)は顔をだします。しかしそれ以上の飲み会(特に行きたくない飲み会は絶対に)いきません。
断り得た時間がどれ程解放感を与えてくれるか。ただのノリの飲みはいらないのです。飲み会は金銭的にも時間的にも身体的にも悪影響を与えます。
しかし寂しく感じるときもあります。
自分が参加しない間にコミュニティが広がっており疎外感を感じるのです。
だけどそれもたいした問題ではありません。
ほんとたまに飲みに参加すると珍しいと喜んでいただき、ひろがったコミュニティで飲むのですが、次第に酔いが回りいつものどんちゃん騒ぎがはじまります。
そしてそこで気づくのです。
何も変わっていない光景を目の当たりにします。
酔っぱらった人たちが、自分なりの仕事観を語り合っている。
「もっと仕事を奪いに行け!」
「そこは言い返さないと!」
一人4000円も5000円も払って話し聞き合っているのです。
それだけ熱い思いがあるならもっと活かせることがあるでしょう。
だけど、こんな酔っぱらった記憶も残らない会話で残るのは、二日酔いだけです。
この負のスパイラルなのですが
「飲まないとやってられない」など、
まるで飲むことで救われるような言い方で突き進んでしまうのです。
私は弱い人間です。
だからこそ何かに依存したくなることはわかります。
しかし明らかに欠慣である飲み会を続けることは、何も残らずただただすこし自分を嫌ってしまうようになるのです。