信じるとは思考を止めてしまうこと

信じているものを人は疑わなくなります。

それは信じてしまったものは信じきった方が楽だからです。

 

例えばアルコール。

酒を飲んでしまえば夜の時間に生産的な活動はできなります。二日酔いにでもなれば、翌朝の活動にも影響を与えます。

 

しかし酒はストレス解消になっていると信じこんでいるのであれば、疑うことはありません。もっといえば朝も夜も仕事以外の時間は「ゆっくりする」と決め込んでいれば、その発想にもなえません。

 

これはギャンブルやタバコも同じであり、悪いとわかっていても、ストレス解消になっているということで、続けていくことになります。

 

そしてその信じるという行為は、疑わない、疑いたくないという考えと変化していきます。

 

終身雇用にたいしても当たり前、常識と考え、大量リストラが何度も起きているのに、

仕方がない。とどこか他人事になるのです。

 

それは信じてるのではなく信じたい、そして考えたくないのです。

 

それは自分自身がどうやってこの世に価値を与えれるか真剣に考えていないから、思考を停止させます。

 緊急性は低いが人生において非常に重要な思考が抜けており、いつかのまたいつかとして日を先に追いやっています。

 

将来の夢はなにかと聞かれ、現状維持と答えてしまうのであれば、それは夢ではなく、思考が止まっている証拠です。

 

友達はこう言っていた

親からこういわれた

ネットでこう書かれている

 

ほんとに大切なことはあなたがどうしていきたいかです。

 

一会社にぶら下がっているのは勇気や根性ではありません。

自分の力を試すことをしていないのであれば

いつまでもあなたが考える常識から抜け出すことはできません。

 

常識はありがたいものですが、思考を歪めてしまいます。

何したいのか、それを突き詰めて考えていくことが重要です。

 

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常識を信じる人