原始人は走りながら何を考えていたのだろうか?
やることをコロコロ変える僕でもここ2年全く変わらない不動の習慣がある。
それがランニングだ。
なぜここまでランニングにハマるのだろう?
ビートルズも徳川家康もキリストも生まれるもっとはるか昔の僕、猿。
その時代から走り回る本能的な考えが、現在の僕の脳の中に刷り込まれているとでも言うのであろうか?呼び覚まされてしまったのだろうか?
確かにランニングをしているとたまに走ることに集中しゾーンに入るときがある。
歩いている人・走ってる車、波の色や飛んでいる鳥、全て見えてはいるけど、ぐっーと集中し頭の中では、もう一つの世界を見ていたりする。
それが音楽ライブをしてる自分であったり、世界を飛び回っていたり…
何にせよ、そのゾーンに現れる僕は、憧れのもう一人の僕なのである。
そんな想像する時点で原始時代の猿なのかもしれない。
僕のご先祖様もマンモスを倒し、宴で可愛い子ちゃんと踊りまわる光景を打製石器を持ちながらイメージし走っていたに違いない。
そして令和2年になっても変わらずに打製石器をスマホに持ち替えて僕は妄想し駆け抜けている。
現代版マンモスは、労働時間という分かりにくい敵となり、倒したのか倒してないのか、そもそもマンモスだったのかも怪しい時間を「頑張ろうぜ」と同僚と声をかけ合いながら働いている。給料日となっても、そのマンモスを倒した宴の中心に立っていいのか、英雄的自分の存在価値を認識しづらい環境になっているのかもしれない。
そんな揺れ動く自分という存在をちょっとでもカッコいい者にしようと今日もランニングして妄想しようとする。でもカーテンを開けると大雨の東海地方、もう妄想できる日ではないようだ。
4連休が終わり、僕にとってのマンモスがオフィスに入りこむ。マスクをセットアップして、きっとかっこいい自分で帰ってこれるように。妄想でない戦いを月曜日から巻き起こしていきたい。
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