4連休は地元の大阪に帰省し隈なくランニングしている。
育ててくれた環境を、「あれはどうなったんだろう?」と走らせるとどんどん足が加速していくのだ。
当然といえば当然なのだが、帰ってくると僕の地元の人たちはみんなマスクをしている。行きつけだった美容院が、席と席の間に飛沫防止ビニールを垂れ下げている。
テレビやインターネットで噂されるコロナは僕の地元でも流行っているという現実が、なんだかとても不思議な感覚であった。
自分の地元はずっと変わらない卒業アルバムのようなものだと勝手に思っている節があったのだ。
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それは感染症だけでなく、町自体の変化も起きている。
高校時代に使っていたご飯やさんはメルセデスベンツの販売店に変わっており、幼稚園の頃から公園横にあった奇妙な森は、開拓がスタートしている。
町という大きな背中に乗った建物や自然が、ポロポロとこぼれ落ちて、また新たなものに生まれ変わってくのだ。
地元愛という、血縁のない関係を”信じる”には、どうしてもこの変化を受け入れつつ愛していかねばならない。
懐かしく感じる場でありながら、もうそこに僕の居場所がない建物をつきつけられると、このランニングぐらいのスピードで見流していくのがちょうどよかったりするのである。
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走りが加速していくと、だんだん見えているものだけでなく、昨日友人と会い、中華料理を食べたことを思い出していた。
オンラインライブやら、家を購入するかどうかの話やら、世間の流れであったり人生観であったり、話の枝葉を追っかけるとしっちゃかめっちゃか話が変わるのだが、そこにしか生まれないノリや雰囲気のようなものを求めていたりする。
そしてその一瞬、ぶわっと懐かしくなる感覚が、Googleストリートのようにランニングしながら探している”居場所”であったりするのかもしれない。
友人との会話が盛り上がるにつれて、刺繍で作品を作ったという話がでた。
まだ初めてだし、それ以来作っていないというのだが、その作品を見せてもらうと、一気に引き込まれた。
この刺繍で何か次の作品はできないのか?
一緒に作品づくりとかできないのか?
僕1人、勝手に盛り上がり始めて友人もだいぶ引いていた訳だが、その興奮はきっと未来に繋がるものだからワクワクしてたまらなかった。
「あれはどうなったんだろう?」と過去を探すために走り始めたランニングであったが、「これはどうしていこうか?」とランニングが終えても、走る理由をずっと持っていたい。
そんなことをずっと探しているのかもしれない。
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