何をするんだ?
いつするんだ?
お前は何をしてたんだ?
今後どうするんだ?
考える間もなくひたすら問い詰めていく部長。
えっと、あっと、と言葉を詰まらせる上司。
これが昨日見た、新しい職場の会議での1シーンだ。
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非協力的な取引企業をどうしていくのか?
そんな議題で話が進んだ時、何をどうするのかについて応えれない上司に対して、部長がみんなの前でその上司をめちゃくちゃに詰めていた。
「俺の言っていることは何か間違っているか?」
と聞きあえて上司に「間違っていません。」と応えさせる。
「じゃあなんでできないんだ?」とさらにブーストをあげて詰めていく。
言ってることは正しいが、やってることは、完全に間違っている。
何がしたいのか?
部長の言い分だと「お前には変わってほしいから」あえて強く言っている、これは教育だというのだろう。
でも僕からみたら「みんなの前で恥をかかせて自分の権威を高めて、相手を貶めている」ようにしか見えない。
僕はこれを正論ハラスメントと呼ぶことにする。
そしてこの正論ハラスメントが起こると周囲の人間が起こすパターンは2つしかない。
①目をそらし黙っているか
②正論ハラスメント側について上手くやり切るか
これは小学校から起きているイジメと何一つ変わらないのだ。
詰められた方は哀れみとこうなりたくないという反面教師としての目線しか浴びることはない。
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社会も変わりパワハラを取りざたされるが、パワハラも結局は正論の塊なんだと感じる。
あまりに意見としてズレていることで詰められたら、反撃もできるし聞き流すこともできる。でも正論で詰められているからこそ、何も言い返すことができないし、よっぽど精神が強くないと、自信を失い、さらに失敗を多く起こして救いようがなくなるのだ。
僕は教育のために「怒ることはおかしい」と言っているのではない。
でもその怒り方の”手段”に目を当てる時代に入ってもいいと思う。
正義を掲げて戦争を起こすことを僕らは何度も反省した。
でもいつだってこの正義の持つ力は、特別な魔力を持っている。
そして「この場合は仕方がないんだ」と特別なケースとして割り切り、周囲は銃口の引き金が引かれるのを黙ってみている。
騒がれるコロナやナイフだけが病気や殺人を起こしているのではない。
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