従妹が左遷された

銀行に勤めている従妹が左遷された。

 

従妹は僕より年齢が1つ上で、たまに連絡を取り合っている。

左遷されたという話も本人から笑いながら話された。

 

実際何をしたのかというと、会社内で同僚ともめたとき、

仲裁に入った上司に対して、怒りそのままに日頃の不満を同僚だけでなく上司にもぶつけたとのこと。

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その場には銀行本社の専任部長や本部長も居合わせており、一瞬で人事情報に✖が付き、翌月にはあれよこれよと法人営業から経理へと異動することになった。

 

僕の会社の場合、営業より経理のほうが重宝されているので会社によってその役職はまちまちなんだと感じる一方、人の信頼ってその一瞬なんだなぁと痛感する。

 

従妹は「どんなに努力しても嫌われるときは一瞬だよ」と話すのが印象的だったが、自分の人生考えてみると、報われるときも一瞬の気がする。

 

僕らのほとんどの日々は、他人にとっては全く記憶に残らない道端の花や、風や、雲のようなものなんだ。

 

 

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でもその花が注目されたとき、いい香りを出せるのか、花びらの裏から蜂が飛び出すのか、一瞬の評価が花そのものの存在価値としてその人には評価されてしまう。

 

自分自身30歳を超えて、早寝早起きやランニングを始めた。

会社ではストイックなドグマとして認識されているが、今までの30年間は

早起きも走ることもめちゃくちゃ嫌いだった。

 

でもまるでこの人生ずっとそうだったかのように認識される。

そんな断片的に見た認識だからこそ、嫌われるのも一瞬だし、また報われるのも一瞬なんだと思う。

 

 

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人からの一瞬の認識を、僕らは誤解だと焦ったり、そうなのかもしれないと信じたりする。

 

自分の何気ない行動が、それをふと見た相手にしたら、僕の存在価値として評価しているのだ。

 

偏見にまみれた断片的な認識を集めて僕もこの世界を見ている。

 

そんな正解のない世界で、

相手の目線を気にして必死にみられ続けた断片的な自分を演じるのは苦しい。

 

今日も近所の犬や屋根の上のカラスは大声で鳴いている。会社で大声をあげるくらいなんでもないと思えるぐらい江戸っ子な自分が1%でもいないものかと少し期待したりしてる。

 

 

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