スランプに陥る思考回路は何かと考えてみると
まず直面するのはめんどくさいという壁がでてくることです。
しかしそれは本質ではないと考えています。
その裏で起きていることは行動のきっかけを失っていることなのです。
行動を失ったことで思考回路の整理がつかないのです。
そして努力していた 一つができていない(やっていない)から、どうしようと不安になります。
ここでその事象にふたをしてしまうのです。
見ないようにしてしまうのです。
それがその場では一番安心できるから。
ふたをしている事実はわかっているから、その他のことに関しても手を出そうとするとこのふたをしている事実と向き合ってしまいます。
だから他のことからも逃げて、やっていないということへのストレスを見てみない振りするのです。
そしてあっちにもこっちにもフタをしていきます。
そして遂に気づきます。
始めようとしたとき何から手をつけたらいいのか。
いよいよ行動のきっかけが分からなくなってしまうのです。
偉そうに語ってきましたが、今の自分がまさにその状態なのです。
習慣屋という名前も使っているのに続かない習慣。
これほど向き合うことに恥ずかしいことはありません。
スランプに陥るきっかけは、動画のアップロードがうまくいかないことでした。
何度挑戦するもわからない、うまくいかない。
そうするとやる気もなくなってきます。
それでも朝の自分に今日こそは動画アップロードと約束しまたアップロードできず。
なくなってくるやる気で自分の自信、尊厳が失ってきます。
そんな自分を見たくないから、見ないふりをしていました。
そうなるとあげていこうと決めていたブログなども手がつかなくなってきたのです。
ブログを止めるとジャーナリング等の机で向かって行う作業も億劫のなっていました。
こうなることでいよいよ習慣の大方が崩れてしまい、スランプへと陥っていました。
始めるきっかけも見えず、ストレスばかりためていました。
だけどいまこの記事を掲載できています。
この壁をいま必死で向き合い掲載しています。
そしてはっきりと今確信していることがあります。
苦難を乗り越えることは習慣を続けていくことより遥かに重要ということです。
元の習慣もできていないから、レベル的にも下がったように感じますがが決してそうではありません。
このスランプを乗り越えるということは、ギアが変わる瞬間なのです。
より高品質の習慣に向けて馬力をあげる、力を要する瞬間なのです。
私は今回スランプから乗り越えた一つの要因として、一つ自分に約束をしていたことがあります。
それは「たったひとつで良い。習慣を1個は続けておこう」ということです。
そうすることでいずれ成長した未来の自分が帰ってくると信じていました。
そしてそれはいつか行動をするきっかけを与えることになると信じていました。
今回の自分が続けていた習慣は、資金管理とランニングでした。
それを続けていることでまだ自分にとって習慣を続けていこうと思える自分がいたのです。
機械ではなく人間ですから習慣を止めてしまうことはあります。
そんな自分を強く否定してしまうと本当に帰ってこれなくなります。
このスランプを超えて帰ってきたいま、いろんな目線が広がっています。
このブログに関して言えることは、格好つけずに書いていこうと思えています。
形式ばらず、弱い自分も全部さらけ出していこうと。
まだまだ習慣を完全にコントロールができていません。
そんな今の自分が習慣についてのブログを書く資格があるのか。
いや絶対にないでしょう。
だけど、それでも書き続けていく。
いつの日かきっと自分が理想としていた自分になれると信じたいからです。
このスランプを超えたことは自分にさらに自信を与えてくれます。