とても大切な経験のため前回同様スランプ時期について書いていきます。
まずはスランプ時期、酒を飲んでいました。外で飲むわけないのですが、家で1~2缶飲んでいました。決して飲んだくれの量でないのですが、酒を飲むと生産的な活動は一気に抑制されます。その結果、行動に出れずにいるわけです。
翌朝ベッドからなかなか降りずに、ネットをだらだらと見るという習慣が始まります。以前の記事でも書きましたが、悪しき習慣のスタートを切ってしまうと、その負の習慣から断ち切るのは困難です。
そして生産的な習慣を継続させるためのスタートをおかしくさせていき、酒を飲まない日でもスタートボタンをおせなくさせてしまったのです。
またこのブログに対してルールが多すぎたことも復活に時間を多くかけた原因でした。
自分をよく見せたい、そんな思いから、習慣をさも完璧に続けている自分を描くようにブログ記事をかいていました。それは意図的ではなく無意識にです。
でも振り返ってみると、そんな自分をよく見せるためのルールが勝手に作られていました。いつも記事には習慣のテーマを盛り込み自分はすべて毎日行っているように思いこませていました。
でも昔から、私は人一倍めんどぐさがり屋です。
持続もできない人間なのです。
スランプ時期、生産的な習慣から離れ上記のような負の自分の決めつけをしていきました。自分自身はこうなもんなんだとネガティブな鎧をつけてしまうのです。
そして環境のせいにもしだします。
休みで立て直したいのに、友人の約束のせいで自分の時間を確保できない等、言い訳ばかりをしていました。
そんな自分ですが、この負の習慣から抜けるようにもがいていました。
一つはスティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」を真の意味で理解し行動したい衝動が自分の中でまだあったこと。
また継続している生産的な習慣がいくつかあったこと。
そして大きかったのは昔種まきしていたことがスランプの時期に花を出し始めたことです。
それは今年の10月に人生で初めてライブをすると決め3月ぐらいから人を巻き込み動いていたことが、このスランプ時期に動き出したのです。
巻き込んだ人は、スランプの僕ではなく、当時自信のあったときの自分にはなしかけてくるのです。
そして、弱い自分とはわかってはいますが、自信があったときの自分もいたのだと再認識しふるまいます。
すると自信があったときの自分の動き方、考え方を少しずつ動くことで思い出すのです。
人に会うというのはとても大きいのです。
殻にとじこもるほど愚かなことはないのです。
なぜそもそも生きているのか。
その意味において出会いというのは大きな意味を占めている考えています。
スランプを通じてまた自分の自信を取り戻すことに繋がり、
そしてまた発信し続けようと思えました。
習慣屋という名前を自分につけた当時の僕を思い出して。
まだ逃げない
まだ進める
スランプの壁を登り切ったかはわからないけど、今日一日はこの意識を研ぎ澄ましていきたい。