寄り道をするときっとステキなことが起きる。
そんな言い訳をするようにランニングをしたいがために朝から電車に乗った。
人少ない駅で、向こうにいる子どもたちも虫かごを持って遠足をしに行く様子。
年齢は違うがきっと気持ちは同じはずだ。
手探りで時間を作ったり見つけたりする感じ。
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電車に揺られ20分。
到着したのは緑に囲まれた公園。
学生時代の通学路にあったこの公園は、僕の青春時代丸ごと飲み込んでいる。
4連休最後の日はここを走ろうと決めていた。
草が降った雨を余すことなく全て飲み込んでいるのか、膝を簡単に隠すくらい生き生きと伸びきっている。
そんな草むらを走ると、輪ゴムを飛ばすようにピンピン、バッタが弾けていくのだ。
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変てこなオブジェが目に入った。
存在は知っていたが、別に意識することもなかったので、結局僕の中では存在していなかった建造物。
何か風力発電のようなモノだと勝手に決めつけていた。
が、作品だ。
僕は芸術の教養がないのでこれがどれくらいの芸術性を秘めているのか分からないが、見れば見るほど僕好み。
幾何学的な作品ってなぜか少し懐かしい感じがする。
1970年作ということで、当時の大阪万博の残り香を請け負いつつ、風の道を作り続けてきたのだろうか。
作成者の新宮晋さんと言えば、地元の公民館でも、作品を作っていた。
なんだかおもしろいなぁと思いその作品も写真に収めていた。
何十年も住んできた町でも寄り道をしてみると、多くの繋がりが隠れていることに気づく。
そう思うと、走っている時に目に止まった自販機の横にあったさび付いたイス。
あれも何か胸に来るものを感じ、僕はシャッターを向けたのだが、あのイスもまたどこかでつながってくるのだろうか?
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緑の公園は竹藪へと変容する。
竹が多く茂っているため、外の景色も光もほとんど入ってこなくなる。
それでも緑色の空間を走りながら、たまに薄くなった竹から景色がチラリと覗くのである。
そして見えてきたのが、多くのブルドーザーと巨大な建物だ。
そしてその建物が、僕の校舎の隣にあった病院だということにすぐ気づく。
その病院は僕が記憶していたものとはまるで違う姿になっていた。
この地での病院としての役目を終え、粉々に壊されている。
まるでそれを隠れて覗くように、僕は竹藪から見ていた。
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公園を出て上をみると空が大きく雲を散らして広がっていた。
耳を澄ませると、吹奏楽が楽器に息を吹き込む音、テニスラケットがボールを打ち付ける音が木岐いっぱいに反響している。
学生の元気が力強く音になって景色になっている。
なんでもない一日でも生や死や繋がりが流れている。そうした流れを感じる余裕があるから、寄り道はステキなことに出会える機会が多いように思える。
懐かしさを求めて、後ろを振り返るけど、上を見ても足元を見ても芸術はあちこちに転がっているのかもしれない。
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