今日のラジオではコロナウイルスからみえる日本の美徳についてお話をしています。
とても簡単に言うと、外出を禁止するのはなく、自粛という形をとることで、日本人に判断をさせる、法律で求めるより、日本人のリテラシーに期待をしていることは、日本人として誇りを持ってもいいのではないだろうか。
NHKの受信料が罰則規定がなく、契約率が8割を超えているのは、日本人の道徳観が高いからだと一説では言われていている。
しかし穿った見方をすれば、集団心理の中で契約をしているだけで、自主性が低いといえるのかもしれない。しかしその集団心理が働くからこそ、自粛を促すことで、外出=顰蹙(ひんしゅく)をかう図式が成り立つ。
とはいえ、自粛という形では、生活ができないという意見も多くある。国が責任を持ち、生活を支えて、営業を禁止させないから、したくなくても営業をせざる得ないという状況が続く。
「自粛」
このグレーすぎる指示と、グレーすぎる判断が、中途半端な意思が相まって、国の思惑と人の集団心理がぐにゃぐにゃに混ざり合っていく。
そこで今日も僕は会社に行く。
どんどん自粛ムードが強まっているのに僕は今日も会社に行く。
上司が自粛する。と判断しないから行くしかない。
いや、ちがう。
僕が上司の判断に従うと判断しているから従うしかないのだ。
自分の意思で決めようとしていないから今日も行くしかないのだ。
それは会社という集団心理があり、休めば迷惑がかかるという空気があるからだ。
でも世間ではこれ以上感染する可能性が増える行為はやめるような空気がある。
今日は大雨でとても風が強い。空気が風で大きく流れている。
今日はどんな空気を僕は読めばいいのだろう。