奥さんはM-1グランプリを知らない。
それが僕にとって衝撃的だった。
どうやってこれまで避けてきたんだ!と住む世界が違うと、まるで観るものも違うのかと驚いた。
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それだけ驚くのは、僕が幼少期からお笑いばかり見てきたからなんだろう。
それこそ、M-1グランプリは、中川家が優勝した第1回目から欠かさず見ている。
ネタを見て、その場で「このネタは何点だ」というシビアな仕組みがとても好きだったりする。
そこに忖度はなく、面白いか面白くないか?
それがなぜその点数なのかを伝えるのもM-1グランプリの見所だ。
その批評を聞いて、お笑いの見え方が、広がる様な気がする。
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そんなM-1グランプリを奥さんと昨日見ていて、ネタが終わる度にお互いに点数を言い合う。
が、奥さんの点数をなかなか辛辣だ。
50点とか10点とか欠点者すらでてくる。
でも逆に僕の点数は、90〜93点の間をずっと言ってる。
なんだか僕の点数の方が、奥さんと比べて空気を読んでいる様で不自然な点数だ。
「これは90点かな?」と言うと、奥さんから「ひとつも笑ってなかったやん!そんなある?」と突っ込まれる。
…。
…。
…。
たしかに…。
何で僕はこんなに周りの目を合わせるような批評をするのだろう?
僕自身M-1の審査員に求めているのは、もっと空気の読めない、感性剥き出しのお笑い批評だったりする。
それこそお笑いコンビに関しても、空気感が一気に変わる様なネタを待ち侘びているのだ。
でも大人になり、僕はその感性に一歩線を引いている。
それがお笑いを見る姿勢から、現れているのだ。
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社会人になると、そんな空気の一線を丁寧に踏み込まない様、最新の注意を払う。
それでも譲れないもの。
こだわりたいもの。
そういった価値観を何とか守り切りたい。
オール巨人師匠が優勝したマヂカルラブリーに向かって「ぼくはどうしても漫才師はしゃべくりで評価したいから君たちには点を入れなかった」とコメントをした。
古い考えなのかもしれない。
それでも周りに揉まれず自分の意見を言う巨人師匠。
僕と違う感性なのに、周りの目も暮れず、自分の意見を言うその姿勢が妙に説得力を感じたりするのだ。
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