(入試問題)他人の握ったおにぎりを食べれるか?

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以下の問題は2019年横浜市立大学で出された問題だ。

 

あなたは高校の教師である。ある日、授業の一環として稲刈りの体験作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。稲刈りの体験作業の後、農家のおばあさんがクラスの生徒全員におにぎりを握ってくれた。しかし、多くの生徒は他人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残してしまった。

[問1]
あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。

[問2]
あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

(2019年 横浜市立大学 医学部医学科小論文試験 改題)

 

 

 

 

 

非常に面白い問題だ。

 

①問題の印象

農家の善意と子供の汚いと思う本能。

子供の本能をねじ曲げて相手の善意を感じなさいと無理やり持っていくのは、強制的な教育になってしまう。

この問題はさらに、この事実を農家の人にどう伝えるのかという、子供だけでなく、汚いと本能で感じている事実を隠そうとする我々の本能にまで問いかけていることだ。

 

始まりは善意からである。でもこのいわゆるありがた迷惑に対して教育として、事実として、私ならどのように振る舞うだろうか。

 

答えは知らないので〔というか一つの答えにくくれない〕正解かどうかわからないけど、この問題から見えてくるのは、この事実に対して、どのような背景が潜んでいるのか想像できるかということだと思う。

 

②生徒たち

まず人が握った米に対して食べられない子供というのは、良いとか悪いとかではなく、一つの意見であると考えられる。

 

そうなると、その意見に対して頑なに否定するのは、この時代の判断として正しいのか?LGBTなど少数意見を尊重する時代の流れの中、握ってもらったコメは残さず食べろ!と簡単に注意するのはこの時代ではそぐわないのかもしれない。

だけど、お米を食べないという行為で農家の人を傷つける可能性があることを気付けているか、それは食べる食べないは別として教えないといけない場面ではあるだろう。

 

③農家

またこの事実を農家の人にどのように伝えるか。それは医学部で出題されているという背景から、言いにくいことを患者に伝えないといけない場面を想定した問題とも思える。どこまで相手を傷つけずに伝えるか、嘘をつくのかどうか。改めてこの問題を通じて、医者の大変さに気づく。そんな経験を毎日毎日行っているのだろう。

 

 


④私の考え

最後に私の考えをまとめる(そのためこの設問に答えるということではないので、ごり了承おきください。。。)とこの問題は受け取り方と伝え方を聞いている問題なのではないかと考える。そしてその意味でこの問題は、日常生活にまで繋がる問題へと想像が広がっていく。

 

社会人になり、組織の中にいると今回の問題が浮き彫りに現れる。

他人の握ったおにぎりを食べれないという理由で社員にすぐ怒る上司がいる。だけど時代は多様性を受け入れようとする風潮の中で、相手のことを考えずに、怒る、指摘するという受け入れ方は、通用しないだろう。

そうではなく、相手の立場に立ち、自分が知らない受け入れ方を、まずは知ろうとする姿勢が必要である。

その上で何がダメなのか、または何が必要なのか感情的に教えるのではない伝え方の工夫が大切だ。

それは農家側でも同じ話だ。生徒には言いやすく農家には包み隠していても生徒たちはそのような振る舞いをする教師を見ている。

だけど言い方を誤れば無駄に農家の人を傷つけることにもなる。言いにくい事は言う、だけど言い方はある。農家の人の手が汚いから食べないのではない、そうではなく人の手で握ったということが現代では受け入れにくくなっている流れがあること、生徒の中にはおいしく食べたものがまた多くいること、稲刈り以外にも多くのことを学ぶ経験になっていること、どう伝えるか、どう伝わるか、そういったことを踏まえながらも話していくと思う。

それは社会の中でも往々にして存在する。本当に伝えないといけないことは伝えないといけない。だけどそれをそのまま「あなたが握ったから子供たちはおにぎりを食べませんでした」では事を大げさにしてしまう。

 

受け取り方も伝え方も工夫がいる。

 

他人の握ったおにぎりは食べれないという良くある事柄から社会人の人間関係まで広がっていく良問だ。