面白いものってなんだろう?
モノを作っていると「これ、相手が見て面白いか?」という感覚を忘れてしまう。
自分は必死になって作っているので、とにかく出すことばかりを意識してしまうからだ。それはまるで真夜中に書いたラブレターのよう。相手に鳥肌が生まれても愛は生まれない。
では僕が今まで面白いと思ってきたものって逆にどんなものだろう?
思い出してみよう。
きっとそれは勢いだけで作られたモノではない。しっかりと作り手が面白いと向き合ったからこそ、僕に伝わっているのだ。
子供の頃、家にはドラゴンボールの作者、鳥山明の画集があった。マンガも面白かったが、特に夢中になったのが画集だ。
ずっとその世界に引き込まれて、その世界で住んでいたいとさえ思っていた。
カエルがこけるこの絵。
絵がうまいというのもあるが、寝ている少年の後ろに広がる景色や、メカの細部まで垂れるコード。つかの間のお昼の時間がすごく印象に残る。
絵を細かく一つ一つ覗いてもそこに物語があって、そこに作り手である鳥山明のこだわりを感じさせてくれる。
本当にその世界があるように思わせてくれるのが鳥山明の魅力だ。
機械のデザインから鳥山明が楽しんでいるのがわかる。
アラレちゃんもメカも景色も丸く、でもよく見るとまた細かく細部までこだわっている。
その妥協がない狂熱は、人がみたら恐ろしいほどだ。でも一方でやっぱり楽しんでいるこの感じが好き。
僕は飛行機の着陸するとき、とても胸がワクワクする。どこかで子供の頃みたこのアラレちゃんの絵が頭の片隅で呼び覚まされているからかもしれない。
何気ない1シーンだが、これは景色が走っていて車はタイヤすら動いていない。
実験的な絵であるが、伝えたいのは、表面的なトリックではない。
走るという情報ではなく、のどかという印象を伝えるなら、やはりこの構図になるべくしてなったような気がする。
景色もクリリンも悟空のおにぎりも、そして、この車さえ、そののどかな草原に溶け込んでいるのだ。
「旅は続く。とっても楽しい旅が。」
そんなセリフが浮かんでくるような絵だ。見ていて気持ちよくなる。
相手に伝えたい自分の感じたもの。
表現は言葉であれ、絵であれ、音楽であれ、その表現と向き合う時間を過ごすことになる。
その時に溢れるほど愛を注げば、表現されてからどれほど長い時間が経過しても、決して冷めていくようなものではないように思う。
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