棒高跳びの世界
僕は知ってるようで何にも知らないこの競技。
例えば「勝つためにあえて飛ばない」という選択を棒高跳びの選手がとる時があることをご存じだろうか?
ただ高く飛べばいいのではないか?
実は棒高跳びはそうではない。
棒高跳びは駆け引きの世界なのだ。
そんな棒高跳びの世界に夢中になっている人を棒高跳びの競技と一緒に紹介したい。
クラウドファンディングでご支援していただいた森田さんだ。
森田さんは棒高跳びでオリンピック選手を目指している。
森田さんがオリンピックを目指すまで夢中にさせる棒高跳びとは何なのか?
4000年の歴史あるポールの進化
そもそも棒高跳びは4000年も前に誕生している。
羊飼いが杖を使って川や柵を跳び越えていたことがきっかけと言われているのだ。
その後、棒高跳はオリンピック第1回アテネ大会から採用され、伝統のある競技となっている。
始めは木製のポールが主流だったが、しなやかで弾力のある竹製のポールが登場すると、竹が豊富な日本の選手が一躍世界のトップレベルになっていく。
1932年のロサンゼルスオリンピックでは、日本人選手が初めて銀メダルを獲得する。
その後ポールの材質は、アルミ、グラスファイバー、カーボンファイバーと進化し、選手の到達する高さもどんどん進化。そして現代、6メートルもの高さを跳べるようになった。
棒高跳びの駆け引き
棒高跳びのルールはバーを落とさずにくぐり抜けたら合格だ。
つまり、たとえ体が触れても、バーが落ちなければセーフ。
逆に、体がバーに触れなかったのに、ポールがバーの方に倒れるなどして、バーが落ちてしまったらアウトとなる。
大会では審判が決めた高さのバーから、20センチずつ上がっていき、高くなるにつれて、10センチずつ、5センチずつと小刻みに上がっていく。ところが、すべてを飛ぶ必要はない!
これが棒高跳びの駆け引きの世界の始まりだ!
棒高跳びは、最終的にどの高さまで跳べたかを競う競技。つまり、最初をパスして途中から挑戦しても、クリアできればそれが記録となる。
序盤はできるだけ体力と集中力を温存して少ない跳躍で記録を出す、ということもできる!
同じ高さで3回連続失敗すると競技は終了。逆に言えば、1回でも跳べればその高さはクリア。これも少ない跳躍で体力を温存するための重要なポイントとなる。
森田選手 VS ドグマ
ここで駆け引きの一例を。
たとえば残り2人の決戦となったとき。
5メートル55センチのバーで、1回目は2人とも失敗。ドグマは奇跡的に2回目で成功したものの、森田選手は2回目も失敗したとします。
ここで、森田選手が3回目で跳べたとしても、その次の高さで2人とも失敗した場合は最終記録が同じになる。
棒高跳では同じ高さを跳んだ選手が複数いる場合、失敗回数の少ない選手のほうが順位が上になるためドグマの勝ちが決まる。
だが、あえて森田選手は3回目をパスして体力を温存し、次の5メートル60センチに勝負をかけることもできる。
上の表の状態で、5メートル60センチをドグマが2回目3回目で成功したとしても、森田選手が1回目で成功(〇)しているので、森田選手の勝ちとなる!
このような一発逆転を狙う駆け引きが、棒高跳の見どころだ。
優勝が決定した後は、記録への挑戦が待っている。
優勝者の希望の高さにバーを設定して、観客が見守るなか、より高い記録を目指す。
まさにこれは、棒高跳の優勝者だけが味わえる特権なのだ。
森田さんについて
さてそんな駆け引きの世界で森田さんは戦っている。
棒高跳びにより、遠く高く飛んだ選手は、高いところからぽんっと落ちるのではなくて、浮遊の感覚がそこにはある。つまり、ポールの真上にいるとき、一旦止まって落ちてくる「無重力空間」が一瞬あるのだ。その感覚が本当に飛んでいるように感じるという。
試合会場の中で森田さんが1番高い所まで跳んで、お客さんが沢山いればいるほど一緒にその空間を楽しむ。
歓声と一緒になって跳ぶことができる瞬間、いったいそれがどんなに素晴らしい景色なのか、想像するだけで鳥肌が立つ。
きっと森田さんがその一瞬の光景、刹那にむかって今日も積み上げているのだ。
そんな森田さんの座右の銘は、「死を忘れるな」。
常に終わりを考えて、全力で、日々の練習に取り組んだいる。
棒高跳びにより見える一瞬の光景と同じように、森田さんにとってはこの人生も一瞬のように感じ取っているのかもしれない。
決して無駄にせず、人生の一瞬、一瞬の光景を、森田さんは今日も、全力で駆け抜けているのだ。
☟ こちらのラジオにて感謝を述べさせてもらいました(^^♪
最後までご覧いただきありがとうございます!