自分の原点

 

努力した者が成功するとは限らない。

しかし、成功する者は皆努力している

 

楽家 ベートーベン

 

 

ボクはこの言葉が、嫌いだった。

 

嫌いな理由は、努力は成功するとは限らないという無情な結果論に向き合いたくないからだ。

 

この言葉と出会ったのは、激烈な環境である浪人生活の頃である。

 

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「結果を出さないと意味がない。」

 

とても残酷だけど、シンプルな世界、受験。

 

合格だけが正義であり、その合格のためだけに、他には目もくれず勉強をしていた。

 

15年も前の話になるが、この浪人生活こそ、後の自分の原点ともなる体験である。

 

 

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浪人前の当時のボクは人生を完全に舐めていた。

 

なんとかなると思っていたし、現にそれまでの18年間、なんとかなっていた。

 

いや、周りに"なんとかしてもらっていた"という方が正しい。

 

苦になることを自ら進んでやることはなかったし、それでなんとかしてもらっていた。

なんともならないという事態を知らないのだ。

 

それが受験に失敗した時に痛感する。

初めて決められた人生のレールから外れ、その意味と真剣に向き合う事になったのだ。

 

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周りの同世代の友人達は高校を卒業して、大学や就職をする。

 

それぞれの道を歩んでいく。

 

そんな中、ボクは浪人費用を親に用意してもらい、完全なお荷物状態。

 

とてもではないが"辛い"という言葉では片付けれない感覚であった。

 

だからこそ、浪人生活では努力で報われたかった。

いっぱい単語を覚えて、とにかく机に向かって、ペンを動かして、疲れてもしんどくても、やる。

 

辛い時間を積み重ねた"量"こそが、成功への階段だと信じたかったのである。

 

 

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でも成績をあげることを意識をすると、何にも考えず努力をすることではないことに気づく。

 

「成功とは、何を示しているのか?」

「努力とは、何を示しているのか?」

 

浪人生活の成功が大学合格であるならば、努力は、辛い時間の量ではなく、大学合格をするための学問への理解のはずだ。

 

「いまでしょ!」の林修先生が

 

努力は裏切らないって言葉は不正確だ。

 

正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない

 

といっていた。

 

努力というのは、何に対してその努力を放つかで大きくその力が変わっていくのかと感じた。

 

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冒頭のベートーベンの言葉も、努力であればなんでも成功するわけではないということを教えてくれているのだ。

 

 

だけど…。

それでも…。

 

ボクは、「努力は必ず報われる」と言いたい。

付け加えるとしたら、「どんな形であれ」だ。

 

浪人をしたことが。

親に迷惑をかけたことが。

お金をかけたことが。

失敗というならそれまでなのかもしれない。

 

でもその時過ごした浪人生活の哲学や手法を、未だに信じて使っている。

 

仮に浪人して大学に合格しなかったとしても、努力をした事実はいずれ何かの形で現れてくる。

 

そこにボクは「努力したからこそ成功した」と胸を張れると思うのだ。

 

努力は必ず報われる。どんな形であれ。

 

だから動き続けないといけない。

それがボクの原点です。

 

 

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