信じる

 

今年1番、感銘を受けた考え方。

 

芦田愛菜さんの「信じる」について。

 

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」


「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」


「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

 

 

感銘を受けたと言いながら、この芦田愛菜さんの言っていること、読んでも読んでも分かりそうでわからない。

 

でも何だかわかる。

 

この「信じる」という言葉。

とても不思議な感覚だ。

 

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自分を信じる。

 

自信。

 

何も動き出していない所から、自分を信じれる訳なんてなくて、はじめの一歩で失敗してしまうと「やっぱりダメだぁー」と自信を無くしてしまう。

 

でも何で自信をなくしてしまうのだろう?

 

ドグマくんの絵を描いていると、思っているように描けず、そのギャップでどんどん自信をなくしている自分がいた。

 

こんな絵を描ける!と期待している自分が、心のどこかにいるのだと思う。

 

 

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だからその絵を描けていない自分の絵を見て、

「何だこの絵はっ!」とガッカリしてしまうのだ。

 

でもそれって、自分の能力の足りなかった所が見えただけの話だ。

 

そんな「見えなかった自分の弱さ」を見ようとしないのは、ただの逃げだ。

 

芦田愛菜さんがいうように「それさえ受け止めれる揺るがない自分="信じる"」という事なのかもしれない。

 

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ボクはとにかく、放った作品はそのまま放ったまま向き合おうとしなかった。

 

そうやって、自分の弱い部分を見ないようにして、突き進むことだけをやってきた2020年だったように感じる。

 

弱い部分と向き合うと自分が揺らいでしまうのが怖いのだ。

 

そんな自分を知ると、芦田愛菜さんの最後が何を言おうとしてるのか今ならわかるような気がする。

 

 

揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しい。

 

だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないか。

 

芦田愛菜さんが言うように、不安だからこそ、あえて「すごい絵がいつか描ける自分!」を創りあげては期待してしまうのだ。

 

でも実際は違う。

 

それは信じるのではなく、すがっているだけなんだ。ただの妄想なんだ。

 

それに気づけた今だからこそ、そんな弱い自分と向き合いたい。

 

そこで向き合い揺るがなくなった時、初めて「自分を信じれる」と言えるようになると…

 

 

信じている。

 

 

 

 

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