時間は豊かさ

 

 

 

豊かさは、時代とともに変わっているように思う。

 

多くの場面では、給料の額。

お金が1つの豊かさだ。そのお金を多く掴むため、勉強をして有名企業に入り込む、企業を起こして一山あげる。それが豊かさを手に入れるための、1つの社会に対する目的であった気がする。

 

しかしモノや情報が溢れてくる現代においては、求められる豊かさはまた形を変えているように思うのだ。

 

今の豊かさは"時間"だと思う。

 

 

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Uber Eatsがここにきて大きく台頭した。

 

人と距離を取る事が求められる今の社会需要と、すごくマッチしたサービスだということもあるが、僕は働き手としてのニーズとも需要が合ったのだと思う。

 

時間が拘束されることなく、自分が働きたいときに働く。こうした時間を自由に持てる事が、働き手としての豊かさ(時間)を提供できてるのだ。

 

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ただ僕の思う時間の豊かさというのは、お金でいう"量"が多いほど、比例して豊かになるモノではない。

 

現役を引退し、余生を楽しもうとするものの、何をしたらいいか分からず、時間を持て余してしまうのはよく聞く話だ。

 

Uber Eatsで働く人が多くの休みを持っていても、それが豊かさに直結しているわけではない。

 

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時間は量ではなく、持っている時間に対して「どれほど役割を与えれるか」で豊かさは決まってくるように思う。

 

でもこの役割を"与える"というのが難しい…。

 

ゲームをもっとしたい!漫画をいっぱい読みたい!と欲望を役割として与えるのは容易いけれど、数週間もすれば飽きてしまう。

そうなると時間だけが持て余り、結局、豊かさから離れてしまうのだ。

 

役割を与えるというのは、欲望ではなく「自分の“価値観"にそってどれだけ行動できるか。」それが強いては冒頭でいう豊かさにつながっていくと感じている。

 

 

 

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「どういう風に子どもを育てたい?」

 

子どもと遊びながら、そんな話を奥さんとしていた。勉強もスポーツもできればいいけど、それはそこまで大切なことではない。

 

「自分の好きなことは何なのか?」を見つけれるように手伝ってあげたい。あとはそれに向けてたくさん挑戦させる時間を与えてあげたい。

 

子どものためにそんな事をあれこれ考えているのが、実はまた豊かなことであったりするのかもしれない。

 

 

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