むきだしの愛

子どもといると、子供は目に見えないものを欲しがるのがよくわかる。

 

それは優しさであり、あたたかさであり、根幹には愛をずっと欲しがっているのだ。

 

それもすごくストレートに。

言葉を話さず、全身を使って、愛を欲しがっている。

 

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「忙しくて子どもの顔をみて話すことをあんまりしてなかった。こんなに笑ったりするんだね。」

 

里帰り出産後、3人で暮らし始めて、ようやく整理もついて、落ち着いてきた奥さん。

子どもとゆっくり時間をとり遊んであげると、こんなに笑うようになっているなんて知らなかったと言う。

 

笑顔で接すると笑顔でかえす。

子どもはもっと笑顔になりたいのか、ずっと「あうあう」言ったり手を動かしたりして、こちらの注意を引きつけようとする。

 

「どうしたん?」とほっぺを触り笑顔で話しかけると、子どもは笑顔を返してくる。

その瞬間に言葉では全く届かない"心の域"のような場所で深く愛おしい気持ちが生まれるのだ。

 

なんでもないやり取りなのに、“この子のために"とか"守ってあげたい"とか無慈悲な愛がなんなのか教わっているような気がする。

 

 

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そしてまた一方で不思議と悲しさも生まれてくる。

 

子どもが成長するのは嬉しいんだけど、小さい手や足が大きくなってしまう。すると「この時が永遠であって欲しい」と願う気持ちが溢れてくるのだ。

 

それはまた子どもと同じように、目に見えるものを通して、目に見えてこない愛をいつまでも大人であるボクが欲しているのかもしれない。

 

成長するにつれて、この空間が終わってしまうことを感じ取っているのかもしれない。

 

 

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きっともうすぐ、寝返りをして。

きっともうすぐ、立ったりして。

その度に愛が生まれて、悲しさも生まれる。

 

永遠でないからこそ実は感じとれている感覚なのか?

何度確かめてもすぐに消えていくようだ。

 

そして子どもも今日だってその愛を欲しがっている。

それは子どもにとっても永遠でないことを知っているからかもしれない。

 

 

 

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