言葉にできないこと。
言葉に出さないこと。
人の輪の中で、自分の気持ちをそのまま発していいのか、人の反応が怖くて、素直になれないことが多くの場である。
怒ってたり、急に彼女と別れたなど、その人の普段の心理状態ではないとわかると、普段話していた言葉が通用しなくなるのだ。それが怖くて言葉をかけるのを躊躇してしまう。
しかし「どんな反応が返ってくるかわからないから怖い」という”自己保身”からの言葉の控えだけでなく、あえて言葉に出さないこともある。それは自分ではなく、その人のために。
そっと寄り添う、静かに祈る。
そんな労わる気持ちも言葉にできないことの1つだ。
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ロックバンド、アジアン・カンフー・ジェネレーションのボーカル後藤氏が、近しい人が亡くなった際にSNSで追悼コメントを出さないことへの批判に
「追悼の意を140文字で示さないやつは悼んでいない、なんて思うことの想像力のなさよ」とTwitterにて反論していた。
「言葉にできないこと、あるいは言葉にしないこと。飲み込むのに時間がかかること。ここが世界のすべてじゃあるまい」とした。
その日は、アーティストの訃報が告げられ、追悼コメントがないのはおかしいと一部で批判があったとのことだが、耳で聞こえてくるもの、目に見えていることが後藤氏の言うように全てではない気がする。
表面に存在する、人や町、それこそコンビニに石ころが全てではなく、もっと内面の、もっと深いところで、ぼくらは言葉にしていない・表現していない世界をそれ以上に抱えている。それが見えてこないから、聞こえてこないから信じれなくなり、つい声をだしてしまうのだ。もっとわかるように反応してほしい。
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言葉に出さない。
言葉にできない。
見えてくるものだけで世界の判断を決してできない。
”見えない世界を想像する力”は見えてくる世界を捉える以上に必要になってくる。
以前、スパスパ弧唄さんが、”信じる”という言葉をテーマに芦田愛菜さんの言葉を引用していた。
「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。
見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることだと思いました。
揺るがない軸を持つことは難しい。
だからこそ人は “信じる“ と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました。」
言葉にされたものも、されてないものも一つの世界で繋がっている。
信じてその人を想像していくことは、言葉にされることよりも尊いものなのかもしれない。
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