”自分の信念を貫く。”
人の顔色を見ずに、ブレない精神力を持つ人と出会うと僕は純粋にうらやましさを感じる。
大きな判断を強いられた時、僕はその意思をブレずに決断し行動し続けれるだろうか?
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昔、報道ステーションで、レギュラー・コメンテイターであった古賀茂明氏が退任の弁を述べる時に、マハトマガンジーの言葉を引用していた。
あなたがすることのほとんどは
無意味であるが
それでもしなくてはならない
そうしたことをするのは世界を変えるためではなく
世界によって自分が変えられないようにするためである
ガンジーの言葉を引用した意味について古賀氏はこう述べている。
「圧力や自粛に慣れてしまって、知らないうちに自分が変わってしまい、本当の大きな問題が起きているのに気が付かないということにになってしまう。みんなが言いたいことは自然に言える場でありたい」と訴えていた。
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このガンジーの言葉や、古賀氏が訴えていたことが、ここ最近の自分によく当てはまる。信念のない生き方や行動は日々の中で積み重なってこない。それは”刹那的な生き方”だと思えてくるのだ。
僕はできるだけ衝突は避けたいし、争うのであればその人の意見を取り入れようとする。しかしその生き方を続けると多くの人に伺いを立てて、頼みごとを引き受けることになり、結果として重荷がどんどん増えている。その場は楽だが、長い目で見るとものすごく辛い生き方を選んでしまっていた。
自分はどうしたいのか?
その意思を持ち、社会で貫くことは容易なことではない。
しかしそれが感情ではなく信念として行動に伴ってくると、”刹那的な生き方”から”生産的な生き方”へと変わっていく。昨日までの自分を信じることができれば、今日に対しても自信をもって迎えれるようになると思うのだ。
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世界を変えようとすると、全然変わらず、自分の無力さに気づき、すべてが無意味なように思えてしまう。
しかしガンジーの言うように、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするために行動する意味があるのだとしたら、僕の抱く信念に繋がる行動が今日からでもできるのかもしれない。
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