産まれてきてくれて、ありがとう

9月5日に産まれた子どもと昨日、初めて会った。

 

コロナの影響で産まれてから1度も会うことができず、父親としての実感があいまいな感覚で日々を過ごしていたが、ついに病院から子どもが退院すると聞いた。しばらくは奥さんの実家で僕の子どもはお世話になる。

 

僕は転勤したばかりの愛知県から、電車に乗り奥さんの実家へ向かった。

 

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奥さんの実家の最寄りの駅に着くと、奥さんのお父さんお母さんが車で迎えにきてくれていた。

 

「ドグマくん!久しぶりやな!」

 

お父さんはわざわざ仕事の休みなのに迎えにきてもらい、「うわぁ申し訳ないなぁ」と苦笑いしながら車に乗り込んだ。

 

 

 

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奥さんの実家につくと、玄関からお父さんがリビングに顔だけいれて、また顔を出し小声で「寝てるよ」と微笑んでくる。

 

 

「いる」

 

 

そう、いるのだ。

僕の子どもがこのリビングにいる。

 

その事実が玄関の靴を脱ぐ前から、緊張を一気に走らせる。

 

固唾を飲み、ちらりとリビングを覗くと、太陽をやさしく被すカーテンから焦げたオレンジの光が部屋全体を包んでいる。

 

そこに奥さんがソファーに座っている。

そして小さな布団に、さらにその半分ぐらいの小さな体があっちを向いて寝ているのだ。

僕の子どもが寝ている。

 

 

 

 

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リビングからでて急いで手を洗ってうがいをして、リュックサックを背負ったまましたものだから、リュックを下ろしまた手を洗って…

 

あのオレンジ焦げた部屋にもう一度入る。

落ち着いたフリして「久しぶり」と奥さんに声をかけると「起こさんとってや」と子どもが寝ている方向を見ながら反応をする。

 

 

 そして、子どもの顔を覗き込む。

 

 

目をつぶってる。

腕をピクっと動かしてる。

スヤスヤと柔らかい顔で寝ている。

 

 

僕の子ども。

 

頭で反応する「かわいい」という感覚と、自分の子どもであるという非現実的な感覚が、感じたように感じることを打ち消し合うようだ。

 

味わったことのない感覚が、 とてもじゃないが言葉にならない。

 

 

 

 

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「お茶をとってくるね」と言って奥さんが部屋からでる。

 

子どもと2人きり。

 

腕を触ってみた。

どんな枕より柔らかく暖かな体温が指からスッと伝わってくる。

 

抱えきれない堪らない気持ちが溢れてくる。

 

 

子どもはずっとただ無垢に寝ているだけなのに、呼吸しているのか寝息に耳を当てて聞いてみたり、子どもの足に指を当てて掴もうとするのを見ていたり、周りの大人が愛に包まれていくように優しい動きをする。

 

 

 

僕も奥さんもお父さんもお母さんもそーっと動き、ずっと寝顔を笑顔で見ているだけ。

 

 

サクラダファミリアを制作したガウディは

「第一に愛を 第二に技術を」込めて作品を作るという。

 

愛に溢れた動きをそのままに、目を覚ました時も、その世界を見せてあげたい。

 

 

産まれてきてくれて、ありがとう。

 

 

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