テレビを見ていて、1つニュースがはいってきた。
「青森市で7日、東京から帰省した男性の家に、帰省したことを中傷するビラが置かれていたことがわかった。」
このニュースの善悪は別として、様々な感情が渦巻いてくる。
お盆で帰省をしたいという気持ち。
コロナの時期に帰ってくるなと批判する気持ち。
なぜ正面切って言わないんだ?という気持ち。
人を注意するのは恐い。でもわかってほしいという気持ち。
コロナによる都会への差別が表面化している。
でもこういった差別、コロナでたくさん見てきた。
パチンコ依存者が行列をなしたり、夜の街が賑わっていると度々ニュースで批判している。でも通勤電車への行列やオフィスワークに対しては非難されない。こんなご時世なんだからタクシーを使え、在宅でしろ!と強く非難はされない。
パチンコや夜の街は娯楽だけど朝のサラリーマンは「仕事なんだから仕方がない」という感覚だ。
経済と感染と心が歯車のように回りながら、僕らの人として成らしめている片鱗が、光と影を蠢きあわせながらその輪郭を見え隠れさせるのである。
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僕の一個人としての意見は、帰省は控えるべきだ。
けど、帰省してきた人を強く批判するのも違う。という、玉虫色だらけで、意見を言ってるようで何も言っていないのかもしれない。
ただ帰省してきた人がコロナに掛かっている可能性が高かったとしても「非難したくない」から非難しない。
自分の生活が昨日より危険になっていたとしても、都会の人は近づくな!というおかしな風潮に流されたくないから非難しない。非難しないことで自分の意思がそこにある気がする。
以前、トイレットペーパーの買い占めがあった時期に
「うちもトイレットペーパー買った方が良いかな?」と奥さんに聞かれた。
その時も「買わなくていい」と答えた。
これは「トイレットペーパーの買占めはすぐ終わる」とか、「こんなのデマ情報だから」とかそういうことではない。
たとえ自分の家のトイレットペーパーが尽きて、生活が不便になっても、買い溜めしておこうという汚い流れに乗りたくないから、という自分の意思であった。
情報をいれながら、経験を積みながら自分の意思が少しづつ育っていく。
でもそれは損得だけではない感情・感覚もしっかりとその意思に反映させていたい。
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