手間をかけた時間は、それ以上に相手の中で生き続ける。
(レーサーさん)
今年の1月、仕事の関係で元レーサーの人(以後レーサーさんと呼びます)の家でご飯をいただいた。
レーサーさんのこだわりはすごく、家のベランダに自ら小屋を作っているのだ。
窓の向こうからからネオンライトが歓迎してくれる。
まさに男の隠れ家的手作り満載の場所。
ベランダの小屋なので、部屋の中と違い、「外と繋がっている」。
子どもの頃、外で自分たちの基地を作ったような感覚だ。
この小屋から部屋に通じる窓を開けると、部屋の暖房の空気がぶわっとこの小屋に入ってくる。
”外”にいるので部屋の”内”の香り・生活がする。
「外と繋がっている目線」でいるから「内の空間」を感じとれる。
そんな部屋の「内」から「外」に作られたベランダ小屋。
さてそのベランダに作られた小屋で、レーサーさんから次々にご飯が出される。
まるで料亭にでもきたのか?というぐらい次々にご飯が出される。
ちなみに何かお祝い事で開いていただいたわけではない。
たまたま仕事で、レーサーさんのおうちが近かったので、連絡をしたら、どうぞどうぞというノリでどんどんご飯がでてくるのである。
一品一品出るたびに
「ほんとありがとうございます!」
「もう大丈夫ですから!」
「いやいや、ほんとありがとうございます!もう!もう大丈夫ですから!」
「いやいやいやいや!嬉しいですが!もう!ほんとにもう!大丈夫ですから!」
ありがとうございますより上の言葉はないものかと、自分の少ない語彙の引き出しを探るも見つからず、もうこれは感謝を胸に秘め、おいしくいただくことに専念した。
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ひとしきり食べたら、
「では2階に行きますか」とレーサーさんに連れられベランダ小屋から2階の広間へ。
そこには部屋の中なのに七輪が焼肉屋みたいにある。
驚く間もなく、レーサーさんはスルメなどの渇きモノを七輪の上に並べだした。
そしてテレビをつけ、矢沢永吉のライブ映像を流すのである。
僕はこんな経験初めてなので、その時は驚くばかりだったのだが、レーサーさんにとったら当たり前のように高品質なおもてなしをこなしていく。
僕はこんなこだわりぬいた生き方できない。
でもそれをできないと決めつけてドアを閉めてしまうと、外とはもう繋がれない。
「こだわりは手間をかけるってことです。手間はタダですからね。相手に喜んでもらえるなら手間は十分元がとれますよ」
そんな風に笑うレーサーさん。
相手のためにどれだけ時間を僕は与えることができるだろう?
どれだけ自信をもって時間を与える行動を貫けるだろう?
僕もこだわりぬければ、あのベランダ小屋のように、外へと繋がる基地をつくれるのだろうか
大人の秘密基地でそんなことをぼんやり考えていた。
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