今年の8月末に僕は転勤する。
今は東海地方に住んでいるのだが、この東海地方も自分の生まれた地元ではない。
仕事の関係で住んでいる東海地方だがなんだかんだ6年間ここの地にいた。
見える景色も感じた空気感も小学校入学から卒業までと同じ6年という期間住んでいたのだから、いざ終わると思うと感慨深いものがある。
話は最終回して、モノは壊れて、人はなくなって、、、
そこにあった何かが失うことで、胸の奥の方で当たり前にあった感情が、急にくっきり輪郭を露わにする。分からないぐらい入り込んでいるから、悲しいとか寂しいとか言葉にしてはみるけど、どうもまた違う感情が取り巻いてる。
この東海地方は別になくなるわけではない。そこで住んでいる人も僕だって生きているし、これからも生きていく。話は終わるわけではないのだけど、でも決してこの日々に戻ることはないことを知っている。
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小学校を卒業するとき、僕は全く悲しくなかった。
それは小学校のときの友達がそのまま同じ中学校にいくから、何も変わらないものだと思っていたのだ。
泣いている子を見ると、「別に終わるわけではないのに大げさだなぁ」とその節目の意味を全く分かっていなかった。
小学校の友達とそのまま中学校へ入学する。
まるで同じような繰り返しだが、じんわりと変化が生じていく。
何かの色が書き混ざっていくように、変わらないと信じていた空気感が次第に色を変えているのだ。
小学校という校舎が作っていた空間、そこを共有する生徒・時間。
同じ人がそのまま違う空間にいっても同じことがあるわけではない。
もう2度と味わうことがない空間を、あの卒業式が意味していたことを、色が全く変わってしまった中学校でやっと理解する。
でももうその中学校の色に染まって、ほとんど思い出せなくなるのだ。
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僕は8月末に転勤する。
新しく住む物件を見たり、その周辺地域を見にいったり、少しずつ次の色が混ざり始めている。
でもまだ色が染まる前のこの時間。
この6年間何を感じていたのか?
まだこの”校舎”にいる時に、その心を留めていたい。