海から山へとホットドッグ

僕の家の近くに、ホットドッグ屋さんがある。

そのホットドッグ屋さんからは海が見えることもあり大人気だった。

 

 

 

僕は何度もこの店にお世話になっており、地元の友人が遊びに来るときは、この店に連れてきて、ホットドッグを楽しんでもらう。仕事のスタートが遅い日はこの店でコーヒーを飲み、海を見ながらゆったりした時間を過ごしていた。

 

f:id:asasyukan:20200705070432j:image

 

 

 

しかし津波の心配や、建物自体老朽化しており、今年移転することになった。

 

当たり前にある大切な時間。

永遠に続くわけではないが、終わりを感じると急に細かい描写や香りを有難く感じるものである。どこかで永遠にあるものと感じていた。

 

移転間際ではさらに多くの人が詰めかけていた。

コロナウイルスの影響もあり、海を見ながら店内で食べることはできずテイクアウトのみの形で営業され残念ではあったが、それでも店内から階段、そして駐車場までお客さんの列が並ぶほどの大盛況。

 

僕も奥さんを連れ最後のホットドッグを楽しむため、ソーシャルディスタンスで間隔の空いた列に並んだ。好きなホットドッグは売り切れになっており、頼んだこともない油淋鶏ドッグという一風変わったホットドッグを選んだ。

注文を選びながらも店の中から海を見えて、食べずとも最後のサービスを受け取っていたような気がする。家に帰り、甘酸っぱい油淋鶏ドッグを食べながら、その日はずっとホットドッグ屋のことを考えていた。

 

そしてホットドッグ屋は20キロ以上離れた山側へと移転していった。

 

蛻になったホットドッグ屋。

誰もいないがまだ店自体は残っており、海側でランニングをするたびに、このホットドッグ屋を外から覗いてみる。

しかし外の窓から見えるのは、店内の非常口のライトに薄暗くボンヤリと緑色に部屋が照らされている姿だけであった。

 

あれだけ当たり前のように営業していたものも急に静かになり、それも思い出せなくなるほど、また当たり前に享受できてしまう。人間の適応能力はすごいなぁと感じつつも、外からホットドッグ屋をぼーっと見て、店内で食べていたことを思い出すと、また少し寂しい気持ちも生まれてくるのであった。 

 

 

********************************************

 

そんなホットドッグ屋の移転した新店舗に、昨日行ってみた。

 

f:id:asasyukan:20200705070536j:image

 

 

 

 


f:id:asasyukan:20200705070532j:image

 

 

 

 

f:id:asasyukan:20200705070749j:image

 海から一転、京都を彷彿させるお寺の中でホットドッグを食べるという変わったステージを創り上げていた。

 

海ではなく山が見え、ホットドッグを食べると変わらぬおいしさが詰まっている。

なんだろう?外見は随分変わったが芯はより強くなっており、さらにこのホットドッグ屋の未来を作っていこうとする強い信念が感じ取られとても元気をもらった。

 

でもまた一方で、あの海を見ながらホットドッグを食べた記憶が完全に過去のものになった感覚も同時に抱く。

 

時間も地球も血液もどんどん回っていく。

 

変わらないことより変わり続けていくことを選んだホットドッグ屋。

新商品ローストビーフスパイシードッグを口に入れて、海ではなく山を僕はぼーっと見ていた。

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます!