インプットとアウトプット
Twitterでこのようなツイートが目に入った。
「99%の人は、そもそもアウトプットをしない。 すばらしい本を読んでも、人生が変わるような話を聞いても、YouTubeもやらないしツイッターにすら投稿しない。 外の世界を意識して継続的にアウトプットするだけで、十分すぎるほど希少な人材になる。」
発信(ここでいうアウトプット)し続ける意味について、とても的を得た発言だと感じた。
アウトプットとインプットを考えると、アウトプットはインプットのハードルに比べるとはるかに高い。
情報を「入れる」か「出す」かの違いだけではない。
そもそもアウトプットをする場合は、インプットしていることが大前提であり、そのインプットから「何を伝えるのか」、優先度を決めて、自分で調理する。これこそがアウトプットのハードルなのだ。
例えば、アートの世界で、同じ空を見ても絵にすると全く違うものとして出される。
インプットから「何を伝えるのか」、自分で調理するアウトプットは自分表現であり、99%の人がやらないのもすごくうなづける。
発信をし続けるというのは容易そうで相当な努力の積み重ねであると改めて思う。
自分がこの「はてなブログ」で発信を継続してやれているのは、高品質のブログを上げ続けているブロガーの方々と、いつも見に来ていただける読者さんのおかげである。
この環境下がなければまず発信は続いていない。
発信するとは、自分一人ではまず起きやしない異常な作業なのだ。
さて、そんな異常な作業をし続ける作業工程について。
自分の家でこのブログを毎日書いているのだが、記事を書こうとすると必然的に朝の時間になる。
それは朝であればだれも起きておらず、静かな環境下で物を作ることができるからだ。
しかしここ最近、気温が高くなり、暑さのため奥さんが朝になると目を覚まし起きてくる。
僕はリビングのソファーでノートパソコンを膝にのせてブログを作成しているわけだが、奥さんが「ソファーを使う。」となったら、僕は自分の部屋で作業に入る。
自分の部屋はリビングに比べると太陽の光の入りが少なく暗い。そのため電気スタンドをつけて作業を始める。
しかしこの電気がついているのを奥さんが見つけると
「もったいないから。」と電気スタンドを消され、自分の部屋での作業をするのを拒まれる。
再びリビングのソファでノートパソコンを膝にのせて作業をすると
奥さんはテレビを見始める。
さすがにテレビの音で集中ができないのでイヤホンをして、ブログ作成の集中の邪魔にならないジャズを聴きながらブログを書き始める。
すると、「両耳でイヤホンすると耳悪くなるから。」と片耳で聞くように怒られる。
片耳からジャズの音楽、もう片方からはテレビから出される戸田恵梨香の迫真の演技が耳に入り、それはそれは集中ができない。
もはや修行僧のように、テレビの音に集中力が引っ張られないようにブログのみに集中する。すると奥さんから「いつまでやるの?」とブログの書き上げる時間制限まで設定される。
「あ~あと30分ぐらいで終わらせるわ」と答えると、
「いやずっとやってるやん。8時にはやめて」と強制終了時間が告げられる。
時計を見ると今は7:50.
残り10分で書き上げないといけない。
キーボートの叩くスピードのギアを一気にあげる。
見える景色はパソコンの画面ではない、ブログの世界に入り込み
この記事の終わりに目がけて一気に突っ切るのである。
記事が書きあげれそうになった時、「もう少し寝るわ」と奥さんは自分の部屋へと戻っていった。
自由になった途端、一気に集中力が下がり、片耳から聞こえるジャズが煩わしくなり、イヤホンを外した。
どんな環境であっても悲観的にならずその境遇をうまく利用してアウトプットをしなければならない。しかし変わる環境下の中でどれだけ順応できるか。
インプットに押しつぶされてはいけない。
最後までご覧いただきありがとうございます!