思考のその日ぐらし

思考のその日ぐらし

 

思考の消失と積み重ね

 

「いままで思考がその日ぐらしになってました。」

そんなことを朝会オンラインのメンバーが話していた。

 

 

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確かにそれはある。

思考のその日ぐらし、つまり考えを流してしまい消失する状態。

一年前の僕はそんな風にずっと思考を流し続けていたのでめちゃくちゃ共感した。

 

それを強く共感するのは、思考を流していた状態から気づくことはない。そうではなく、思考を流さず積み重ねることで、初めて、その逆である思考のその日ぐらしの意味が理解できたのである。

 

思考を積み重なることは、目先の願望だけでなく、長期的な願望が生まれ、その達成に向けたプロセスごとの行動願望が生まれてくる。この願望を行動で答えていくことにより長期的な願望は達成され、さらに願望はさらなる願望のスパイラルを生むことになる。

 

逆に思考を積み重ねず流していると願望が生まれてこず、なかなか行動に繋がらないのだ。

 

そのため行動範囲もせまくなり、休みの日は、お菓子を食べる、酒を飲む、タバコを吸う、変な時間に寝るなど快楽的行動願望しかでてこなくなる。

 

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そして行動が制限された状態になり、それが習慣化されていく。

こうなってしまうと日々がただただ流れていき、自分自身の成長を感じにくくなる。若い頃はよかったと、今の自分への肯定感が低くなってしまうのだ。

 

まさに思考のその日ぐらしの始まりであり、これが一年前の僕だ。

 

一年前の僕

 

たまに当時の僕を振り返ることがある。何に対しても自信なかったし、そもそも将来的な願望がなかった。

 

ではいまとどんなところで行動が違うのだろうか?考えてみると休みの日の考えの捉え方がそもそも違った。

 

当時、休みの日は休むことが当たり前だと思っていた。だからとにかく

「寝ないともったいない!」思考があり、逆に「好きなだけおきれる!」思考も湧く。

 

平日の限定された睡眠を、好きなだけ取ることができる「休日=睡眠放題=睡眠しないともったいない」理論が働いていたと思う。

 

この限定された睡眠を金曜日の夜は反逆的に夜更かしをし、土曜日は日が暮れるまで寝続ける。これが睡眠パラダイスであり、休日の過ごし方なのである。しかし寝れなくなるとやることがない。暇でやることがないため、目先の快楽で満たそうとする。

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まさに思考がその日ぐらしで消失していき、積み重なっていかない。

これが一年前の僕だ。

 では今の僕は思考をどうやって積み重ねるようになったのだろう?

 

発信する場

 

思考を積み重ねるためには「発信する環境」が必要だったことに気づいた。

他人や友人、そして自分自身にその思考を伝える場・アウトプットする場が思考の積み重ねには重要である。この発信する環境がなければ、いくら思考が生まれても、そもそも出す意味や価値がないので、垂れ流して消失させてしまうのである。

 

では発信する環境とはなんなのか?

例えばこのブログである。

人に見てもらうことで自分の思考の整理をし、また身の回りの気づき等も、ブログの記事の題材となるので、インプットしようとする姿勢もついてくることになる。

 

僕の場合、手帳やオンライン朝会、作品作りなども発信する環境である。

発信する環境があることにより、思考の積み重ねに価値があり、

その日その日にも価値が生まれてくる。

 

この繰り返しが、願望を生み出し、思考の積み重ねに拍車をかけていくのだ。

 

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友人との話

友人と昨日ブログの話になった。

ここ最近ブログを始めて3週間になるのだが振り返ってみて、自身の環境がどんどん変わってきたという。

 

思えば僕もブログを始めて、発信をし多くのステキな人と出会い、環境が劇的に変わった。そして次々に願望が生まれ、休日に睡眠パラダイス!などという発想が全く浮かばなくなっている。

 

思考を積み重ねていく。

この先もこの考えを持ち続けていきたい。

 

 

 

 

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