【日常:24】教会と輪切りソーセージ


 

昨日は教会の礼拝についてビジネス的観点から考察してみた。

 

asasyukan.hateblo.jp

 

昨日の記事では、教会が提供するサービスについて良かった点を取り上げました。ただ全てが良かったわけではないです。もっと改善するところも確かにある。

 

今日はその点について挙げていきたい。

 

あらかじめお伝えしますが教会批判ではありません。また的外れな意見かもしれません。あくまで僕が今後サービスするのであれば取り入れるであろう配慮です。

 

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教会と輪切りソーセージ

 

 

説明のない資料

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昨日教会に入り、どうしたらいいかわかっていない時、「初めてですか?」と声をかけられた。そうです!と答えると、ぽんっと聖書などの本を3冊、紙を3枚わたされ、「お使いくださいね」と微笑んでいた。

 

そしてそのまま礼拝が始まるのだが、牧師の方が、本を開き何やら読み始めみんなで掛け声をかけている。どこの何を読んでいるのかわからない。

 

あんまりわちゃわちゃすると周りの方がきっと「ここを読んでますよ」とフォローされる。人の時間を邪魔するのは、絶対に嫌なので、もう話だけに集中しようと紙や本を見るのはやめた。

 

ただみんな聖書っぽい本を開いている時、僕だけ開かずぼーっと前を見ているとそれはそれで目立つので、適当にページを開いたりしていた。

 

 1人で解決できる仕組み

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例えば礼拝の流れが決まってるのであれば、数字の書かれた付箋やしおりをあらかじめ聖書などに挿むなどの配慮があれば、もっと初心者も楽しめるのではないだろうか。

 

これは礼拝に限ったことではなく、初めてきた人は、当然何もかも、初めてだ。そのためストレスもすごく、フォローされるのもとてもストレスになる。

 

だから何か問題あればお気軽にお声掛けくださいスタイルは実はすごいストレスを押し付けることになるのだ。そうではなく初心者1人でも解決できる仕組みを作っておくことが大切だ。

自力で解決してる仕組みを提供側が用意してる。そうすることで初めてきた人もストレスなく、受けるサービスに集中できる。

 

ついつい何かあれば、その場でその人をフォローしたらいいと提供側は思いがちだが、これでは新規は逃してしまう。

 

 

 

勧誘は逆効果

 

また我々の世代は情報過多の選択世代だ。何かの押し売りはとにかく嫌がる習性がある。帰るときに、勧誘はなかったが、宗教などの懸念が強いのはこの勧誘にある。

 

勧誘がもたらす負の側面は強烈だ。その代表でもあるNHKはいい例。やっているサービスは素晴らしいのに、いまだに訪問営業という時代錯誤なことをしているため、若い人からすこぶるイメージが悪い。選択できない強引な提案は、それを受けた人だけではとどまらない。宗教に関しても「勧誘があるのでは?」と身構えてしまうのだ。

 

私たちは空間や信仰に興味はある。スターバックスはサービス以上に空間に惹かれている。綺麗な場所はSNSにあげられ、信仰なども講演家YouTuberが流行るぐらい我々は精神を求めている節もある。教会の礼拝というのは、とても時代にあったステキなサービスだ。だけどこの勧誘というイメージが払しょくできず、なかなか参加している年齢層(平均60代後半)を見ても新規参入に苦戦しているように思えた。

 

サイゼ並みの手軽さ

 

もし集客を求めるなら、強烈なお手軽さが必要なんだと認識した。サイゼリヤにいけば300円払いミラノ風ドリアを食べれて、帰れる。そんな手軽さを求めている。献金をしたらサッと帰れる、でもまた教会でお祈りをしたい。そんな層たくさんいるはずだ。経験してないだけで日曜の朝からパルプオルガンにステンドグラスに光、最高級な癒しが待っている。

 

ただ今回もそうだが、っていうか当たり前の話だが、そんなお手軽信者を教会側も求めているわけではない。毎週顔を出し、お祈り以外の活動も強く求めているだろう。それがわかっているから(そうでなくても想像してしまうから)僕は軽い気持ちで次も行こうとできなくなる。「期待させちゃったなら悪いからな」で終わってしまう。

 

無料オファー

一緒に宗教活動することはできないけど、お祈りには興味があるという層は想像以上に多いと思う。その方々を取りこぼさず取り入れ、その中から本当に興味ある人が、宗教活動に参加させる仕組みを作ることはできる。

 

スーパーでソーセージの輪切りを配り、本当に美味しいと思った人が買う、あの営業スタイルだ。でも絶対にしてはいけないのは、輪切りソーセージを食べたお客さんに無理やり話しかけて「食べたなら買えよ」スタイルの営業ではだめだ。輪切りソーセージを食べようと思っていた他のお客さんも引いて食べれなくなる。

 

しかし教会側からしたら、そんな無料で輪切りソーセージばかり食べられては困る!しっかりソーセージに興味を持ち、ソーセージのさらに多くの人に広める人でないと!今日もソーセージをどう広めていくか会議があるから参加してよ!というハードルでは、新規としては「いや、じゃあめんどくさそうなのでハム食べます」ということになってしまう。

 

 

教会の品位 

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終わりに品位について話そうと思う。新規参入を促すために、なんでもかんでもハードルを下げては教会としての権威や品位も同じように下がってしまう。しかし中途半端に「お気軽に来てくださいね」と品位を保ちながらハードルを下げられても、まったく響かない。「申し訳ない」でリピーターに繋がらない。これだったら初めから「あ、うち自由なんで好きにやってください」といわれ、帰りも声をかけられない方が、まさに「お気軽に来れる」かもしれない。

 

興味がわけば新規参入の人から声をかける。この自発的に動き出すまでの期間をじっと我慢できるスタイルのほうが、勧誘をかけるよりはるかに品位が高く感じる。