【日常:23】教会からみるビジネス的視点

大阪の2日間ですっかり心の栄養みたいなものを補給できたドグマです。

 

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今回は教会の礼拝からみるビジネス的着眼点について考察していきます。信仰宗教に対してビジネスと結びつけるのは不道徳であり失礼と思われるかもしれません。

しかしエンターテイメントをやっていきたい僕にとって宗教もエンターテイメントも、生活の一部に入り込む共通があると考えています。

そのため信仰自体がお金に結びつくという話ではなく、あくまで生活の一部に入る魅力や仕掛けについて取り上げていきます。

宗教そのものについて取り上げるのではないことを再三周知しておきます。

 

 

教会からみるビジネス的視点

 

礼拝に行ってきました

 

昨日、教会にいき礼拝をしてきました。

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僕自身キリシタンというわけでなく、礼拝をしたのは、自分が通っていた幼稚園に顔を出したかったからだ。僕の幼稚園は小さな教会がくっついているキリスト教を教えとしたところである。

 

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僕の家庭はあまり宗教の関心が薄く、クリスマスはキリストを祝うが(いやクリスマスプレゼントを買ってくれたおばあちゃんに感謝を述べていた気がする)、お葬式は浄土真宗に乗っ取り進行したり、お米一粒に12の神様がいたり、ビートルズに敬意を示したり、、、

 

結論、八百万の神様に囲まれた生活のため、昨日教会に行き礼拝をするという行為が決して日常生活に近いところにあるものではない。むしろ、とても異質なものであった。

 

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教会につくなり、自分が27~8年も前に通っていた幼稚園だ。建物の懐かしさに胸がいたくなる。そして教会に入ると、女性から讃美歌と聖書と分厚い本の三冊をポンッと渡される。またお知らせの紙も三枚ほど渡されそのまま教会内部へ。

 

教会内部

 

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温かみのある気に囲まれた教会の中、参加している年齢層は60代後半が多い。

10:45から礼拝が始まるのだが、20分も前についたため、清らかな気持ちで、その空気感を感じていた。

 

パイプオルガンを女性が弾き、ステンドグラスから光が差し込み、温かみのある木が包む。僕は手帳をひらきその時の気持ちを書いていた。手帳にはこう書いている。

 

「とても優雅な高級喫茶店でコーヒーを待っているようなゆとり感」と。

 

こんな神聖な場をビジネスと引っ付けるのは、あまりに無礼で非常識ではあるが、エンターテインメントをし続けたい僕にとっては、何かヒントがないか考察を始めた。

 

礼拝の流れ

 

そこから礼拝が始まる。流れはこんな感じ。

 

①讃美歌を3曲歌う

②現代の課題について考える(今回はコロナウイルス

③世界に目を向けて信仰について考える

④讃美歌を1曲歌う

⑤聖書の教えを解説する

⑥讃美歌を1曲歌う

献金袋が配られ、対価を払う

 

この流れも大きな役割があると考えている。

 

讃美歌の役割

 

信者たちが声を発するのは①、④、⑥の讃美歌のみ。讃美歌に2つの役割がある。

 

 

 

連帯感の演出

歌の効果というのは絶大だ。知っている歌(僕は全く知らないが)をみんなで立って歌う。声を出すことで運動となっており、歌詞の意味が信仰と繋がっており、音が教会内に反響し、日常とはどんどん切り離され、信仰の演出がどんどん高まっていくのだ。

 

ストレスの発散

話を聞いているだけでは、眠たくなってくる。そこで適度に讃美歌を挟み、ずっと座っている体制から立たされ歌を歌うことで眠気やストレスを飛ばす役割がある。また理解したことを讃美歌を通じて声にだし理解を深めるという効果もあるように感じた。

 

 

問いかけ

 

②、③では教会の代表された女性が現代の問題について呼びかけていく。コロナウイルスや不況等、現代の社会問題を絡めていき、その解決のひとつとして信仰に訴えかける。

 

この関心、ニーズを掴む役割はとても大切だ。昔の問題を挙げられても、関心が薄く気持ちが離れてしまう。そこでコロナウイルスを出すことで、はっと関心が集中した。そしてその解決として信仰があるとつながることで、今自分がこの教会に座ってる役割もわかってくる。

 

解説

 

最初の解説の時間。これが長い。30分以上話されている。信仰している信者の方でもちらほら頭がカックンカックン眠気に襲われてる方がいた。それはそれでとても興味深いシーンではあったが。。。

 

話は難しくちんぷんかんぷんだったが、信仰への愛はとてつもなく感じた。「ほんとに好きなことなんだろうなぁ」と関心すら湧いた。

 

改めて感じるが自らが自発的に発する仕事はやはりとても素敵だ。信用も影響も生まれる。

 

献金

 

黒い布が回ってきて、中にお金を入れる。みんなが、いくらぐらい入れてるか相場がわからないがチャリンチャリン音が鳴っているので、千円以下だとは思われる。

 

まさに今の時代の無料オファーだ。サービスを体験してから対価を払う。特に信仰となるとここで献金しないと、さっきまでの祈りに背くような気さえする。もちろん強制的に払うような雰囲気は一切なかったが、払うことに抵抗感はない。

 

 

勧誘

ここが1番構えていたところだったが、勧誘してくることは一切なかった。「また来てください」と挨拶されるぐらいであり、とても優しい時間が続いた。

 

非常に実りある機会だ。あんまり何度も行き、相手に期待させるのもよくないが、雰囲気や気分を変えたいときに礼拝はとても良い環境である。

 

おわりに

今日は礼拝からみるビジネス的視点について考察してみた。この仕組みを自分自身がいま提供しているコミュニティ運営にも活かされないか、より満足するサービスを心がけていきたい。

 

ただ礼拝でも全てが完璧であったかというとそうでもない。課題や、改善するところもある。

ここどうなの??とまだまだ改善の余地があり、その改善の余地は、自分の仕事にも活かせる考え方である。その点については明日の記事で触れていこうと思います。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます🥰