【日常:20】なぜ誠実で生きるのは難しいのか

最近は、4時起きは早死にするから5時に変えてと注意され、5時おきになるとブログが書ききれず、会社から投稿するドグマです。

 

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 人はみんな誠実に生きたいと思っている。

ウソを好きでつく人は少ないはずだ。

正直で取り繕うことなく、思ったことを言い、言いにくいことも伝える。

 

すごく世界はシンプルなはずなのに、誠実に生きることが難しいため、どんどん世界は複雑になっている。

 

ではなぜここまで誠実に生きることは難しいのか考えてみた。

 

 

なぜ誠実で生きるのは難しいのか

 

ひき逃げをする人がいる。

事の重大さにその場を逃げてしまう行為だ。

逃げてしまうのは簡単なことだが、必ずその後本人を苦しめることになるのに、どうしてその場を逃げてしまうのか。

 

それは日常の地続きの中で急激な変化が訪れる。でも今この場を逃げきれたら、さっきまでの日常に戻れるのではないか?踏み外したが修正できるのではないか、という淡い希望を抱くのかもしれない。

 

変化を嫌う人

 

こう考えると、人はとにかく変化を嫌がる生き物だ。

ホメオスタシスという言葉がある。

生物の内部外部で状態を常に一定に保とうとする体質のことをいうらしい。

 

例えばアルコール依存症の人はアルコールを飲むことがホメオスタシス(恒常性)であり、飲まないことは変化なのだ。飲むことにより昨日までの日々に戻り、脳は変化のない状態に落ち着くのだ。

 

そしてこの一定に保とうとする性質は、今回冒頭で取り上げた誠実さと大きく関係している。人にとっては嘘に嘘を塗り重ねて、日々の一定状態に保とうとするのである。このような行為をする人は周りからどういう人物か見透かされている。それでも本人だけは日々の生活が一定に暮らせているとかんちがいしているのだ。

 

自己のイメージ

 

では、そもそもなぜ嘘を嘘で塗り固めてしまうのか。

 

それは、作り上げている自分のイメージが関係しているのだと思う。子供の頃、なにかミスをした時、強く親に叱責され、そのイメージがいまだに抜けきれず嘘をついてしまう。

 

その逆に、よく褒められており、そのイメージを壊したくなくて嘘をついてしまうのかもしれない。

 

いずれにせよ、自分の中で生み出されたイメージは、世界で起こっている現象とは関係なく現れて、そのイメージに自分の行為を調整してしまうのだ。

 

世界との調整

 

この変化を嫌うホメオスタシスと自己イメージの調整は、社会に出てより顕著になってくる。

 

「こうあるべき大人像、、、社会人とは、、、みんなそうだから、、、」

 

親も友人も家族もそう言っている。であれば、自分だけがおかしいのであり、変化を嫌うホメオスタシスはみんなの一定の方へ、自己イメージを作り出し、みんなと同じ方へ調整を始めてしまう。

 

何をしたいのかを消し去り、何をしたらいいのか尋ねてしまう。世界を創り出すのでなく、世界に創らされてしまうのだ。

 

再び、誠実とは

 

人はみんな誠実に生きたいと思っている。

ウソを好きでつく人は少ないはずだ。

正直で取り繕うことなく、思ったことを言い、言いにくいことも伝える。

 

すごく世界はシンプルなはずだ。

ただその勇気一つで、そしてその勇気の積み重ねで、ホメオスタシスは勇気を出すことが当たり前になり、自己のイメージはつき、誠実に生きることが途端に容易になるはずだ。

 

次第に世界はシンプルになり、何をしたらいいのか尋ねるのではなく、何をしたいのか考えることになる。

 

誠実さとは、決して難しいことではないはずだ。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます!