【日常:5】なぜフォロワーがほしいのか?

ここでは、普段の私の日常や考察を書いていきます

 

 

 

なぜフォロワーがほしいのか?

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フォロワーがほしい

 

あらためてなぜフォロワーがほしいのだろうか?はてなブログでいったらなぜ読者さんがほしいのだろうか?

そんなの愚問で、多くの人に自分の発信を見て欲しいからだ。

 

ではなぜ、多くの人に見て欲しいのだろうか?ここからは承認欲を満たしたいやビジネスチャンスにつながるなど様々だと思う。僕の場合は、今よりもっと大きなことができるかもしれない「未来の可能性を高める」から多くの人に見て欲しいと考えている。

 

では実際、多くの人と繋がり未来の可能性は高まったのか?

 

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相互フォローという考え

 

Twitterには「あなたが、わたしの友達になってくれるなら、必ずわたしも、あなたの友達になりますよ」と表明する相互フォローという考え方がある。この相互フォローを表明している人たちに絡んでいくと、1日で100人、200人簡単に繋がっていける。

 

そんな相互フォローの方たちと繋がりフォロワー数も1000人を超えた。初めに言った未来の可能性は、ツイッターを始める前より確実に高まった。

「誰かあめ玉をください」とツイートすれば、貰える可能性は、始める前より1000人分可能性が高まったのだ。

 

 

フォロワー数=可能性?

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ではこのフォロワー数。現実社会において可能性を示唆するものなのか?50人のフォロワーをもつアカウントの人より1000人のフォロワーをもつ僕の方が未来の可能性が20倍高いのだろうか?

 

そんなわけない。ただ数字上積み上がっただけで、人としての関係性は皆無だ。相互フォローの役割はあくまでフォロワー数を増やすだけだ。こうなってくると先ほど例に出した「誰かあめ玉ください」の可能性に関しても怪しくなってくる。貰う・貰えない以前に反応が返ってこなさそうだ。

 

 

繋がり方と繋がる質の関係性

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ではどうやって、未来の可能性を高める人と繋がるのか?それは繋がり方なのだと思う。例えば同じ信念の人達で集まる場での繋がりであれば、それだけ志は高く、繋がりとしての質が相互フォローの人たちより格段に上がる。

また丁寧に作り上げたものを発信している人の周りもまたステキな繋がり方をしている。

 

こう考えていくと、繋がり方とは結局自らの行動であり、今の発信力や影響力は自らしてきた行動の結果の総和にすぎないのかもしれない。

 

 

 

再び、フォロワーがほしい

 

はじめにもどるとフォロワーがほしいでは言葉が違う。今より未来の可能性を高めたいのだ。

そのためには、自ら未来の可能性のある行動をし、その延長上に未来の可能性を高める人とつながっていく。

そういった行動から繋がり関係し高まっていく一連のサイクルを求めているし探求している。

 

そしてきっとそこで繋がっていく人はあめ玉をくれるはずだ。