量と質の議論になると質が重要だという話がよくあります。
例えば、料理屋。
いくら豊富にメニューがあったとしてもそれぞれの質が悪ければ
全くはやらないでしょう。
それより一品の料理を極めて提供されるほうが、世の中の貢献度は大きく
そして人気店として世の中も認めてくれる可能性が大きくなります。
そのため、やはり、量より質は大切だと考えられています。
しかし、これは質にこだわりをもつ継量が日々の習慣で身に付いていることが前提となります。
先程の料理屋の例を言い換えれば、質を向上させるためには、それだけ練習の「量」は必要となってくるわけです。
この練習の「量」を、初めから多く求めると、1日2日は持ったとしても、一週間、一ヶ月と時間の経過ごとにあきらめてしまうのです。
結果、質にこだわるがあまり、世に発表できないというケースは山ほどあります。
以前にもふれましたが1日の行動の量(行量)より日々の継続の量(継量)をこだわることがとにかく大切なのです。
ではその継量をこだわるためには、質より量をこだわることになります。
さらに言えばその量、一つ一つの量の質をできるだけ下げてしまうことがより継量をあげるためのコツとなってきます。
例えばわたしが上げているこのブログの記事。
下書きにはいくつもの記事をストックしています。
そうしないと毎日ひとつ思いつかすということは私にとってはなかなかの行量となってしまいます。
実はこのブログの記事は0から一気には完成させていません。
ストックの中でも順序があります。
①テーマだけのもの
②テーマに沿って箇条書きにしたもの
③箇条書きから文章にしたもの
④フォント加工したもの、画像を添付したもの
いきなり一気に書き上げようとするとかなりの負荷となります。
そうではなく継量は持続させることを主として、量の質を下げていきます。
継量をあげていくと習慣化しやすく、続けることでアイディアはどんどん生まれきます。
それは結果としてより高品質になっていくものだとも思っています。