私は一日で行った行動の量を「行量」と呼んでいます。
ランニングの距離や、ブログの記事の文字数、腹筋の回数等、
数値化できるものは行量として表現します。
またその継続されている習慣(創慣)の継続されている日数を「継量」と呼びます。
ここで伝えたいのは、行量の1000倍、継量が大切ということです。
一日でいくら行量を上げていくかを考えるより
行量をどれだけ下げてもいいので継量にこだわることが重要
言い換えれば、継量は0でなければオールOKという考えなのです。
例えば、腹筋の習慣をつけたいとします。
極論いえば、はじめのうちは一回もしなくていい。
寝ころび力を入れてみたとかでいい。
まずは腹筋をするという意識をしたことで継量のカウントは1になります。
ただ寝ころんで腹筋に力を入れただけですから、行量としてはカウントのしようがありません。むりやり行量としてカウントを入れるのであれば回数ではなく、時間として3秒腹筋に意識したということでしょうか。
だけど、大切なのは次の日なのです。
眠りにつき朝を迎える
スマホからは友人からのメッセージや親からの着信、NEWSは更新され、体調もすぐれない、そんな昨日とはまるで違う自分に腹筋の習慣を入れれるかなのです。
継量のカウントを1増やせれるかなのです。
始めのうちは車輪が回りだしたところでとても力が要ります。
ただ始めてしまえば行量を増やしていくことは車輪もその日は回っていることなので、そこまで困難ではありません
特に力がいるのは始めるその瞬間なのです。
そしてそれを意識をしてもらうために継量という継続単位に思考を促し注視してほしいのです
これが創慣をものにできるかの分かれ道となるのです。